小山田信茂首塚

小山田信茂首塚([谷村城  寺社・史跡])

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小山田信茂首塚の口コミ情報

2026年06月25日 内記かずりヾ(・ε・。)


さて、前回のアプリの合戦、甲州征伐においての見事なまでの裏切りによって武田ファンを失望させた小山田信茂の首塚が今回の口コミだ。彼を好きなアプリユーザーなんて殆どいないんじゃないかな…でもちょと待ってくりや、戦国時代、都合良く主君を裏切った奴なんて掃いて捨てる程にいる筈…何食わぬ顔で近世大名にまで成り上がった奴等だっているだろう。大体にして「裏切り」て言うからダーティーに感じるんだわ、せめてこりからはソフトに「離反」て言ってくり。そもそも論で調略さりた穴山や木曽はOK♪で小山田が赦されないなんて理不尽過ぎる…一族誅滅させられても死なずに逃げ延びた荒木村重に同情する方は多いて思うんだけど、家名を存続させるために離反した信茂が同情を受けないなんて可哀想過ぎるわ…トータス松本さんはOK♪で温水さんじゃ駄目なんか?

小山田信茂首塚は谷村城の北西約6.1km、笹子川南岸(右岸)、標高約507mの河岸段丘台地上平場に立地する首塚です。

行き方はGoogleマップに位置登録されているのでダイレクト設定して下さい。たぶん案内のままでOK♪なんだけどJR中央本線の高架は潜らない方がよい。車の捨て場所は己れの持つ器量で何とかしよう。

伝承によれば、甲斐善光寺において誅殺された信茂の首を従者が盗み郡内の三嶋神社に隠したが、これを口実に織田、徳川勢が攻め入る事?を恐れて方々を転々、最終的に初狩の随龍庵に隠されたとされる。ちなみに甲斐善光寺の同名の首塚が胴塚とも云われるのはこの首塚の存在があるからだろう。

「甲斐国誌」、古蹟部の項、「小山田古墳」には、「中初狩上の原より西南の山足藤嶋と云ふ地にあり随龍庵の側なり古き石塔あり士人相傳へて小山田氏の墳塋なりと云ふ」とある。

首塚の現況は…山際の鬱蒼とした寂しい場所だが整備が定期的に行われており、小山田左兵衛尉信茂の顕彰碑と石碑が建ち、湘南塔と呼ばれる古塔の礎石が残っている。塚らしきものは特に見当たらないが、塔の礎石が塚の一部という事なんだろうか。ちなみに国誌の記述に従えば前述した随龍庵の跡でもある。

小山田氏は、甲斐国郡内領主として本来は独立した存在である。永正七年(西暦1510年)に和睦するまでの間、武田氏とは常に対立関係にあったが、これ以降、勢力的に圧迫された事等により同盟関係からその被官化が進行した。永正十七年(西暦1520年)、信茂の祖父、越中守信有は、岩殿山円通寺の再建棟札に、「當郡(都留郡)主護平信有」と書いているが、その上位にあったのは武田信虎の舎弟、(勝沼)信友であった。

信茂はよく武田氏の御一門衆とされる事もあるが実際には譜代家老衆の一人である。発給文書の数からすれば、信茂時代に郡内領支配は活発化しており、特に中南部においては在地に根差した一円支配の色彩が濃くなっている。又、この時代には甲相駿同盟の破綻等により武田氏の対外政策等は転換点を迎えており、相模、駿河と国境を接する郡内の緊張は大いに高まり、加えて外征に伴う軍役負担も過重となっている。

武田勝頼時代には、天正三年(西暦1575年)五月二十一日の「長篠の戦い」における敗戦があり、後には甲斐国内の再編等を進めるがために領内の各種諸役等は増大したと考えられる。又、信茂は、天正六年(西暦1578年)三月から続いた「御館の乱」の際に、景勝方と景虎方との和睦に取次役としてその名を連ね甲相同盟の成立に大きく貢献している。この和睦は勝頼の変心によって直後に破談となるが、依然として相模国との境目を有する郡内の領主である信茂の落胆が大きかった事は想像に難くない。

信茂も離反には悩んだのであろうが、勝頼が新府を捨てた事によって主従関係には区切りが付いたものと思われる。奉公を重ねた彼が義理を果たさなかった等と軽々しく言えるのだろうか。武田氏は既に小山田氏の所領を安堵する事さえ出来ない存在にまで成り下がってしまった。

ドラマには脚色があって当然だて考えているんだけど、大河の功罪の一つには、不本意ながらの印象操作みたいなもんがあるように思う。キャラ設定や脚本、俳優達の過剰な演技等によって、あたかもそりが史実における当人の姿であったかのような単純なマスイメージを視聴者に植え付けてしまう。真田丸における温水さんは、人前では威勢良く振る舞いながらも結果的には自己保身に走った小山田信茂を見事なまでに演じてしまった…

最後に石碑に刻まれた一文を紹介しよう。

「惟ふに戦國以来時移り江戸期に入って朱陽の儒家 忠孝順逆の説を普遍して徳川治政の礎となす 則ち順逆は後世の所説で独り信茂公戦國に生きて後世の規範に律せらる概嘆之に過ぐるものなし」

後世の道義的規範で往時の人を断ずるな。

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