戦国世論調査

伊達家改易最大の危機は!?(2015/04/24)


仙台城跡に建つ伊達政宗像

不敵な野望を胸に生涯幾度となく危ない橋を渡り、その都度自らの才覚で乗り越えてきた伊達政宗。その中でも最も伊達家取り潰しの危険性が高かったのは!?

[投票実施期間]2015年04月24日~2015年05月20日


1.秀吉への恭順を渋り、小田原征伐への参陣が大幅に遅れた時。

56%

2.奥州の葛西大崎一揆を煽動したという嫌疑をかけられた時。

15%

3.謀反容疑で切腹となった豊臣秀次との関与を疑われた時。

9%

4.関ヶ原合戦時、和賀忠親の一揆を煽動した事が発覚した時。

7%

5.娘婿松平忠輝の附家老、大久保長安が死後に断罪された時。

5%

6.大坂の陣で、味方の神保隊を全滅させたことを責められた時。

3%

7.その他

2%
「ニッポン城めぐり」利用者のコメント

nao1970武蔵守(2を選択)
まあ、証拠があったら流石にまずいよね

はやゆうけん上野介(7を選択)
政宗に危機などという言葉はない。

きのった(7を選択)
政宗以降の伊達家は権力者にとって脅威ではあるが、改易することのデメリットの方が多い気がするので、嫌疑程度では結果として懐柔策となり改易は無かったと思う。

半日皇帝下野守(7を選択)
ズバリ、鎌倉公方の領土割譲要求に反発して反乱を起こしたときでしょう!(伊達政宗の乱)
by藤次郎政宗より8代前の当主、大膳大夫政宗の危機でした(‾▽‾;)

太政大臣dougen(2を選択)
書状が見つかり、よく偽造だと申し開きができたものだ。

黒崎城(2を選択)
助かったのは鶺鴒の目のおかげかもしれないが秀吉は潰す気満々だったと思われる。

平朝臣井坂弾正少弼貞幹(3を選択)
一揆より、耄碌した秀吉のほうがこわい

大宰少弐ためぞう(1を選択)
やはり、ここでしょう。死に装束での挨拶!

テッピー釆女正タクアン牛(3を選択)
秀吉に睨まれないように

★ギター★(3を選択)
秀次事件の場合、秀吉の判断力が既にマトモじゃなくなって来ているので、秀頼に牙を剥く輩は確実に芽を摘む可能性大だと思う。

天羽槌雄神(4を選択)
小田原征伐の時、政宗が白装束をきて秀吉の前に現れなかったら、その場で殺されていたかもしれない。やっぱり小田原征伐が一番危なかったと思う。

瀧乃道大蔵卿ユズル(2を選択)
小田原の時は動き方次第で味方(秀吉に抵抗する人)もおったかもやけど、その後は…

iCastle周防守SE2(2を選択)
小田原遅参と迷ったがこっち。北条滅亡後の嫌疑の方が危機的だったと思う(秀次切腹の時よりも)。なお、家康は北の抑えとして政宗を利用したい意向の方が強いのでは?

【隠者】史学会帰新参(7を選択)
政宗の時に一番危機だったのは輝宗横死後に対外関係が悪化して四方を敵に回した時が一番大変だったと思います。

マウリア左近衛少将(3を選択)
これは最上にしろ関わった?だけでのkとだから、想定外だったのでは

ああ福島県大膳大夫城弾正(1を選択)
当時の伊達家の騒動を考えるとやはり…

快刀乱麻きらり(7を選択)

秀吉は遠国の大藩を攻め滅ぼすことは出来ず恭順の意を示すことで懸念なく徳川幕府も伊達家を潰す覚悟はなく改易はありえない

寒さ厳しき北の大国ゆえの幸運


いえろーまん左京大夫(1を選択)
この頃の秀吉は危険だった。

津軽宮内大輔藤原信建朝臣(1を選択)
秀吉対伊達・北条・徳川連合の戦いもみてみたかったきがします。

摂政後柏原帝(3を選択)
他はともかく、秀吉さんに後継ぎが出来たので…

仕事多忙中納言速水右近(1を選択)
秀吉が使えると判断した政宗の力量と、家康の口添えが無ければ、改易どころでは済まず奥州征伐で荒廃していた。

大宰大弐のふ(7を選択)
人取橋の合戦かなぁ

勘解由長官泰右衛門(1を選択)
やはり小田原参陣時の行動が一歩間違えたら取り潰しかと。

右近衛少将りおちー(4を選択)
しかし、よく生き延びてきたねー。

くまさん(2を選択)
秀吉は朝鮮への出兵をしておらず、伊達に味方する勢力があったとしても兵力と経済力に勝る豊臣の優位は動かない。乾坤一擲の大将討ちも秀吉出陣がないと叶わない。

誠之亮中務少輔(3を選択)
小田原遅参が有名やけど、やっぱり秀吉の時代最盛期のこの頃かな。

胆振守上海(4を選択)
関ヶ原かな〜。
明らかに黒い。
全部黒いけど笑

関白 大神信貫(2を選択)
これが一番有名ですね。

なまず(3を選択)
秀吉老妄ピークでしょ、
政宗前科?もあるし…

かわうそ(5を選択)
政宗自身の処罰なら、他にあると思うが、伊達家のとりつぶしとなると、これかな?
実際に幕府は、この時期、様々な大名家をつぶしまくっているので。

津軽為信(1を選択)
小次郎に、説得され参陣した

柴崎権大納言幸助(1を選択)
奥州の名門としての意地もあり、まさに命を賭して秀吉との対面に臨んだことでしょう♪

日向夏隠岐守(1を選択)
というか他の時点では伊達家の大きさを考えると、中央の覚えも薄く、基盤も不安定なこの時以外は危機といっても精々減封が関の山と思われるので。

北条左京大夫氏泰(7を選択)
明確ではありませんが実母に毒殺されかけた時でしょうか。

内蔵助阿弖流為(1を選択)
人それぞれに合う、合わないがあり政宗と秀吉は、はっきり言って合わない。であれば最初の秀吉との接点である小田原参陣が最大のピンチだと思う。

まさむね(5を選択)
政権との力関係から見て。

GINTOKI(1を選択)
やはり小田原征伐の参陣があれ以上遅れたらやはり奥州征伐になった可能性が大ですね!(^o^)/

宮内大輔めぐり姫(1を選択)
やっぱりここがターニングポイントだと思います。

常陸介iff(3を選択)
このあたりか?

【❖】二代目にゃ~(2を選択)
やっぱりこの辺(2)かなぁ!中央デビュー後で常に疑惑の目で見られてた頃だし、秀吉も尻尾を掴んだと思っただろうしね!

飛騨守P助(7を選択)
秀吉、家康、秀忠からいつも狙われていたから政宗の知略がなかったらとっくに
潰されていた

内藤修理亮信昌(2を選択)
謀叛がほぼ露呈した訳ですから、よくまぁ助かったものだと思います。

小早川隆景(4を選択)
徳川の世になろうかという最中の、最後の賭けだったと思うから

甑岩式部卿正頼(1を選択)
なんで許されたのか、よくわからないです。

ぐに之助刑部少輔次の石垣へ(1を選択)
先日の英雄たちの選択を観たので、ますますこの時が一番デンジャラスだったとおもいました…

さえもんてつ(2を選択)
須田伯耆に裏切られ密書まで露見してしまい全く言い訳の出来る状況ではなかった。

古楽侍従広家(7を選択)
支倉常長を派遣したときだと思う。

なおリン(1を選択)
あの時の秀吉の権利は名護屋城の陣跡を見れば絶大だとわかるはず。

まさ宮内卿猛虎(1を選択)
小田原へ遅参した時は、正に危機と言えるでしょう。北条との盟約が有ったから、本当は行きたくなかったでしょう。

Nabeppu左馬頭(1を選択)
どれも上手く切り抜けてる感は否めないが、強いて言うなら、これかなぁ。これだけは、唯一権力者と初対面の状態なので、未だ政宗の脅威を知らない秀吉が切腹を命じても不思議では無い。

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