市来鶴丸城(いちきつるまるじょう)

市来鶴丸城 投稿者:副将軍お城エリコさん

城郭基本情報

名称(よみ) 市来鶴丸城(いちきつるまるじょう)
通称・別名 市来城、鶴丸城
所在地 鹿児島県日置市東市来町長里
天気情報

05/04(土) 降水確率:40%
26℃[+3]17℃[+2] 詳細

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問い合わせ 日置市教育委員会社会教育課[電話
分類・構造 平山城
築城主 市来氏
築城年 寛元2年(1244)
主な城主 市来氏、島津氏
遺構 曲輪、石垣、土塁、堀切
指定文化財 市史跡(市来鶴丸城跡)
再建建造物 石碑、説明板
市来鶴丸城は、日置市東市来町長里の鶴丸小学校の裏にある山城である。地元では「鶴丸城」と呼ばれ、寛元2年(1244)に、市来町から東市来一帯を治めていた市来氏によって造られたと伝えられている。

本城と5~7の支城からなり、本城は標高約100メ-トル、周囲3キロメ-トル、山上は階段状の平地で4000平方メートルの面積である。城の周囲は絶壁で、南側には江口川が流れており、攻め難い堅固な城である。西側には中世の山城に多く見られる土塁(防護用の土手)も残っている。

南北朝時代、市来氏は南朝方の武将として戦い、寛正3年(1462)市来7代久家の代に島津立久に屈服し、鶴丸城は島津氏の支配下になった。

天文19年(1550)9月に来日したフランシスコ・ザビエルは、この城に10日ほど滞在し、布教を行った。当時の城主新納康久の夫人や、子ども2人をはじめ家臣17名が洗礼を受けたと伝えられている。

永禄4年(1561)に訪れた修道士ルイス・アルメイダは、城の様子を書簡に書いている。山城全体の構造や建物、空堀(防護用の巨大な溝)に架けられた跳ね橋などの記述があり、当時の城の様子がわかる貴重な記録となっている。

平成17年3月に町の指定文化財に指定され、後に日置市の指定となった。

鶴丸小学校の石造りの校門石垣は、「昔の城壁の跡では?」と想像されるが、これは明治26年に高等小学校と尋常小学校が分立されて、校地拡張・校舎改築に伴い、伊敷村の石工により構築されたものである。

情報提供:日置市教育委員会社会教育課



城郭口コミ


2023/04/18 22:45RED副将軍
市来鶴丸城:フランシスコ・ザビエルも布教に訪れた島津氏の支城🏯⁡オススメ度 ★★★★⭐︎⁡1244年に当地を支配していた在地土豪の市来郡司大蔵氏によって築かれたとされます。南北朝時代には、城主は伊集院時家で南朝方に付きます。1337年には北朝方の島津貞久が幾度と攻め寄せますが落城しませんでした。1340年には、一宇治城を攻略した島津貞久が再び攻め寄せ、激しい交戦の末に伊集院時家は城を放棄して脱出。一時は島津氏の支配となりましたが、伊集院時家は奇襲をかけて市来鶴丸城を奪還。再び城主に返り咲きました。その後、1460年〜1466年頃には島津宗家が市来一帯を支配していましたが、出水島津実久の侵攻により落城。出水...

2022/10/15 19:01薩摩相模守義弘維新斎
市来鶴丸城:城跡の近くには、鶴丸小学校、東市来図書館等があり、これを目標に車で行くのも良いと思います。もともとは、市来氏が築城したもので、その後島津氏が攻略。なお、フランシスコ・ザビエルがこの地を訪れ布教活動をし、10日間滞在したようです。現在は、本丸まで登山道が整備されており、急峻な登山道を行くと堀切、曲輪等の遺構が確認できます。

城郭攻略情報


2015/09/11 10:36
稼ぐぞ休日給征夷大将軍クララ姫
R270を北進、日置市江口浜にて安定攻略。
2014/08/25 16:06
海胆大隅守
佐多岬から攻略(ドコモ)
2014/05/04 16:24
勘解由長官OZORA
市来駅で串木野城と同時に攻略
2013/01/24 12:53
嗣永大宰帥星人
JR鹿児島本線・伊集院駅にて。設定上の攻略半径は5.25km以内。
2013/01/12 23:00
アヴァンシア琉球守xoxo
国道3号沿い『市来小入口』で攻略出来ました

城主争い

来月度の城主争い戦況

 1位 伊集院左衛門佐さん 4

 2位 真んマぁル(マル)さん 3

 3位 ぷしゅう豊後守さん 3

 

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