名称(よみ) | 直島城(なおしまじょう) |
通称・別名 | 高原城 |
所在地 | 香川県香川郡直島町 |
天気情報 |
03/07(金) 降水確率:20% |
地図 | マップ/周辺の城/NaviCon |
分類・構造 | 丘城 |
築城主 | 高原次利 |
築城年 | 戦国時代後期 |
主な城主 | 高原氏 |
廃城年 |
天明元年(1781) |
遺構 | 曲輪、土塁、横堀(空堀) |
再建建造物 | 説明板 |
香川県の直島は、古来より農業には向かない地形で、喜兵衛島に痕跡を留めるような製塩業に始まり、瀬戸内の交通の要衝として漁業や交易、海賊(実際には、海難事故の多い難航路を抑えての水先案内が主であったと言われる)で生計を立てていた。
戦国時代末期に小規模な水軍の将、高原次利が直島の八幡山に直島城を築き、その城下町として本村の町並みや寺院群、神社などを整備した。ほかにも丸山城、八日山城、風戸城などの出城を島内各地に作っている。キリシタン大名でもあった高原次利は、戦国末期に豊臣秀吉に仕え備中高松城水攻めの際に秀吉軍の水先案内をした功績により1582年に男木島、女木島、直島の3島600石の領主となった。その後は秀吉の四国、九州、朝鮮への出兵でも海上輸送で功績が認められ、関ヶ原の戦いのときは東軍に味方し徳川初期の1619年に没するまで所領を守り抜いた。子孫は6代目の時に改易され、1671年に天領となる。直島城は改易後も残っていたが1781年の大火の際に焼失したと推測されている。
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2025/01/15 21:51 鈴木剛
御籠:崇徳天皇が直島にいた時に五部の大乗経を書写したといわれる所です。
2025/01/15 21:45 鈴木剛
崇徳天皇宮:崇徳天皇が保元の乱で後白河天皇に敗れ讃岐に流罪になって直島に三年間いた時に御所だった所
来月度の城主争い戦況
1位 ミホパパさん 48回
2位 うたえもん主馬首さん 42回
3位 すけろくさん 32回
攻略数:城 家臣団:人 |
異名:個 官位:個 |
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