名称(よみ) | 猿掛城(さるかけじょう) |
通称・別名 | 多治比猿掛城、多治比城 |
所在地 | 広島県安芸高田市吉田町多治比 |
天気情報 |
05/03(金) 降水確率:20% |
地図 | マップ/周辺の城/NaviCon |
問い合わせ | 安芸高田市生涯学習課[電話] |
分類・構造 | 山城 |
築城主 | 毛利弘元 |
築城年 | 明応年間(1492〜1501) |
主な城主 | 毛利氏 |
廃城年 |
慶長年間(1596〜1615)? |
遺構 | 曲輪、土塁、横堀(空堀)、竪堀、井戸 |
指定文化財 | 国史跡(毛利氏城跡) |
再建建造物 | 説明板 |
2024/01/19 12:06 尼崎城阿波守一口城主
猿掛城:[登城編後半]麓の教善寺から寺屋敷曲輪を経由して遺構と思われる石積の間や整備して下さっている登山道(写真①)を登っていき、本丸跡(写真②:説明板)に到着。説明板に沿って、櫓台として使用されたと思われる約3m高い盛土(写真③)に上がり本丸曲輪を撮影(写真④)説明板に長さ50m×幅24mとあるように細長い曲輪であることを確認。説明板にとあったので崖の感じが最も分かりやすそうな東側斜面(写真⑤)を撮影。本丸から元就公が猿掛城の次に入城された郡山城(写真⑥:ほぼ中央の山(盆地の左手の山))を撮影📷2023年元就公が吉田郡山城ということは、訪城時の2023年は元就公の猿掛城だなと思いながら眺めていました...
2024/01/19 12:04 尼崎城阿波守一口城主
猿掛城:[進軍編&登城編前半]2023年9月23日、吉田郡山城下城後に元就公が郡山城入城前に過ごされていた猿掛城に向かって進軍。道中、県道6号から県道319号に進むよう猿掛城方面を示す標識(写真①)があったのでそれに従いお城を目指しました。道中、猿掛城の遠景も撮影(写真②③)。お城近くなので、もしかしたらこの辺りなども元就公が領内巡回されていたのかと思うと嬉しくなってきました。猿掛城の麓の猿掛山教善寺(写真④)に辿り着き、案内板(写真⑤)に従い登山開始🥾案内板から約3分で寺屋敷曲輪(写真⑥⑦)に着き、遺構と思われる石積(写真⑧)の間を通りながら約10分で本丸跡に辿り着くことが出来ました。
来月度の城主争い戦況
1位 かんぺい石見守さん 8回
2位 恭任非参議侍従さん 2回
3位 コージーさん 2回
攻略数:城 家臣団:人 |
異名:個 官位:個 |
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