名称(よみ) | 西馬音内城(にしもないじょう) |
通称・別名 | 川名池城 |
所在地 | 秋田県雄勝郡羽後町西馬音内堀回 |
天気情報 |
11/22(金) 降水確率:50% |
地図 | マップ/周辺の城/NaviCon |
問い合わせ | 羽後町教育委員会文化振興担当[電話] |
分類・構造 | 山城 |
築城主 | 小野寺道直 |
築城年 | 建治3年(1277) |
主な城主 | 小野寺氏 |
遺構 | 曲輪、腰曲輪、土塁、横堀(空堀)、井戸 |
指定文化財 | 県史跡(西馬音内城跡) |
再建建造物 | 石碑、説明板 |
期待以上に縄張りが楽しめる城です。最大の見どころは、二ノ郭の北東隅にある隅櫓台。大手口跡から登城道をずんずん歩いていくと、やがてどーんとせり出して来ます。誰が見ても、迎え撃つために張り出された櫓台だと絶対にわかります。「おおっ!」と声を上げてしまうほどわかりやすいです。二ノ郭へは東斜面からも侵入できるようになっていますから、大手道だけでなく東斜面からの敵もすべてこの場所で監視し、まとめて迎撃する設計でしょう。
二ノ郭から主郭までは、二ノ郭の西側の土塁と平行に進んでいきますが、この土塁がかなり強烈。2メートルはあろうかというちょっとした山のような土塁で、横矢が掛かるように弓なりの曲線を描きながら、かなり延々と続きます。堀切を通過し折れ曲がると、二ノ郭への虎口と主郭への虎口に至ります。このあたりは少し崩れているようでシルエットがゆるやか。二ノ郭の隅櫓台のようにエッジが効いてはいませんが、よく見ると同じ構造で、隅櫓台がせり出し、迎撃できるようになっています。その証拠に、搦手のほうに30メートルほど降りてから後ろを振り返ると、この隅櫓台がひとつ頭を出して搦手口側への射撃ラインを確保しています。
主郭は二ノ郭南の一段高くなったところにあり、東西約100メートル×南北約50メートルほど。けっこうな広さで、巨大な井戸もあります。主郭東側には空堀と土橋があり、搦手口の飯塚館と呼ばれる郭に通じます。
慶長5年(1600)の関ヶ原合戦では、小野寺氏は上杉方について最上氏と対立。しかし西軍が敗北し上杉氏が退却すると孤立し、西馬音内城主の小野寺茂道は城に火をかけて庄内に逃れたとされます。慶長7年(1602)に佐竹氏が秋田に転封になると、小野寺氏は石見国津和野に配流。茂道の子孫は新庄藩や久保田藩に仕えたといわれています。国指定重要無形民俗文化財の西馬音内盆踊りは、諸説あるものの、土着した茂道の遺臣たちが踊った旧盆の亡者踊りが豊年祈願の踊りと合流して定着したのが起源ともされています。
2023/04/18 12:04 気分爽快豊後守
館山館:昨年秋に間違って隣の山に登ってしまった館山館に再挑戦しました。登城路には、至る所に残雪があり歩きづらかったのですが、残雪のおかげで西斜面の畝堀をはっきり見ることができました。石沢川のためにかなり大回りの迂回が必要ですが、川沿いの道は秋よりも藪が少なく、この時期こそ狙い目と思われます。①北の郭と手前の堀切②西斜面の畝堀を横から③西斜面の畝堀を上から④南の段郭⑤林道つきあたりから⑥南の郭から北側⑦東斜面の畝堀⑧北の郭から南側
2023/03/28 19:35 【配龍】沼田乃豆腐屋
館岡城:曲師山頂にほぼ4面の広い平坦面を認めることができ、それぞれ自然地形の平場を一部手を加えた程度のものと見られる。防御の構えは、深さ1m、幅2m以上の大規模な空堀もしくは腰郭がほぼ全周し、一部2〜3重に補強される。附近には館の下、谷地、長橋、曲師の地名が残り、『田沢村々誌』に延暦年間坂上田村麻呂の悪路王退治の伝承が伝えられるが、『羽後町郷土史』では、永禄2年没と推定される小野寺義忠が城主とされる。①坂虎口のように見える②館岡城最高所154.2m③北側の腰郭と切岸④西側にある横堀⑤南側の横堀⑥南西側尾根の先の曲輪群
来月度の城主争い戦況
1位 【配龍】沼田乃豆腐屋さん 122回
2位 旭八郎さん 96回
3位 治部丞【✿】徳さん 63回
道の駅うご「端縫いの郷」 2016年7月に新規オープンした道の駅。農産物直売所や羽後町名物「西馬音内そば」を味わえる… |
三輪神社 養老2年(718)、行基によって創始されたとされる神社。本殿は室町時代、同じ境内にある… |
攻略数:城 家臣団:人 |
異名:個 官位:個 |
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