名称(よみ) | 亀田城(かめだじょう) |
通称・別名 | 天鷺城、(亀田陣屋) |
所在地 | 秋田県由利本荘市岩城下蛇田字高城4 |
天気情報 |
11/22(金) 降水確率:70% |
地図 | マップ/周辺の城/NaviCon |
問い合わせ | 亀田城佐藤八十八美術館[電話] |
分類・構造 | 平城 |
天守構造 | 複合式層塔型[3重3階/1989年築/RC造模擬] |
築城主 | 岩城吉隆 |
築城年 | 元和9年(1623) |
主な城主 | 岩城氏 |
遺構 | 曲輪、土塁、横堀(空堀) |
再建建造物 | 模擬櫓門、模擬天守、石碑、説明板 |
亀田藩は、徳川家光が3代将軍に就任した元和9(1623)年の暮れ、岩城吉隆が信州川中島から2万石で入り成立。以後、明治4年(1871)の廃藩置県まで栄えました。
亀田藩は城持ち大名ではない無城格でした。無城格の場合、陣屋を築いて実質的な城とするのが当時の常識でした。ですから亀田城も、正確には陣屋形式の亀田陣屋でした。嘉永5年(1852)、8代藩主・隆喜の代に城主格に昇格し、亀田城(天鷺城)と呼ばれるようになりました。陣屋は大きく、政庁と奥の殿舎の2つで構成されます。政庁のエリアには大広間や上段の間、二ノ間、三ノ間な、家老部屋や用人部屋などが配され、奥の殿舎には書院のほか藩主や奥方の私室になっていました。
亀田城が築かれていたのは、現在の亀田小学校の敷地とグラウンド、天鷺神社境内です。遺構は神社境内に土塁がわずかに残る程度ですが、城っぽいチェックポイントは3つあります。ひとつは、亀田城佐藤八十八美術館。ここに城門と殿舎が建てられています。2つめは、天鷺村の模擬天守です。完全な観光施設で、隣の天鷺村は歴史と文化を集積した観光スポットになっています。3つ目は、天鷺ワイン城。城とはまったく関係ありませんが、特産品のプラムワインの工場見学と試飲ができます。
市内には、お田の方が寛永6年(1629)に父母の菩提を弔うために創建した妙慶寺があります。信繁の三男である真田幸信は岩城宣隆に迎えられ、亀田藩士となって三好姓を名乗りました。妙慶寺の宝物殿には、お田の方や三好幸信の墓所、お田の方が持参した甲冑などが収められています。
2022/07/03 21:32 【配龍】沼田乃豆腐屋
亀田藩主岩城家墓所:龍門寺は南北朝時代の当主岩城朝義により、陸奥国磐城に開山した寺院です。岩城家が亀田に転封となった際に、磐城龍門寺より住職を招き創建されました。岩城家の菩提寺として庇護を受け、広大な七堂伽藍が並んで隆盛しましたが、江戸期に3度の火災に見舞られており、現在の本堂は昭和35年に再建されたものとなっております。その龍門寺の裏山、二つの小谷に挟まれた高台に亀田藩主岩城家墓所があります。歴代藩主墓所は火災の際も焼失を免れ、そのまま現存しています。正面にある御霊屋には、岩城家累代と2代藩主岩城宣隆の位牌、3代岩城重孝と8代岩城隆喜の木造が安置されています。藩主の墓碑である五輪塔には全て雪雨から墓石を守る為の...
2022/07/03 20:35 【配龍】沼田乃豆腐屋
高城城:高城城[たかぎじょう]800年頃、高城山〔標高173m〕は天鷺山と呼ばれ、土豪天鷺速男が居館を構えて天鷺郷を支配していたが、坂上田村麻呂に滅ぼされたと云う。中世に入ると、赤尾津氏が居館を構え、近郷を支配した。1600年「関ヶ原の戦い」の後、最上義光の所領となる。1603年湯沢豊前守満茂が居城と定め、赤尾津満茂を名乗って由利本荘地方の殆んどを支配した。1610年満茂は本拠を本荘市へ移し、本荘満茂と称して統治を続けた。1623年岩城吉隆が高城山北麓に2万石で陣屋を構え、城の役目を終えた。現在は高城城址公園に変わり、石碑、展望台が建つ。①本丸に建つ碑②本丸跡③展望台からは亀田の城下町が見える④本丸北...
来月度の城主争い戦況
1位 大宰大弐Nebelさん 144回
2位 麦わらのルフィさん 73回
3位 開店休業ピョー!さん 45回
湯出野遺跡 東日本最大級の土墓遺跡で、発見された103基を地表に復元保存しているのが特徴。 |
攻略数:城 家臣団:人 |
異名:個 官位:個 |
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