名称(よみ) | 英賀城(あがじょう) |
所在地 | 兵庫県姫路市飾磨区中浜町2 |
天気情報 |
04/07(月) 降水確率:0% |
地図 | マップ/周辺の城/NaviCon |
問い合わせ | 姫路市広報課[電話] |
分類・構造 | 平城 |
築城主 | 赤松祐尚 |
築城年 | 永享年間(1429〜1441) |
主な城主 | 赤松氏、三木氏 |
廃城年 |
天正8年(1580) |
遺構 | 土塁(英賀神社) |
再建建造物 | 石碑、説明板、模擬石垣 |
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英賀城(あがじょう)は、播磨国飾磨郡英賀[1](現・兵庫県姫路市飾磨区英賀宮町)にあった日本の城。別所氏の三木城、小寺氏の御着城と並び播磨三大城と称された。
概要
東は水尾川、西は夢前川、南は播磨灘に囲まれた地に築かれた[2]。本丸にあたる英賀神社本殿裏に残る土塁以外の遺構は住宅地などになって残っていない。石碑・案内板・模擬石垣がある。
歴史
永享年間初期、赤松祐尚によって築城され、戦国末期、赤松氏以降は三木氏に支配が移る。1577年(天正5年)、織田信長は中国攻めを開始すると、羽柴秀吉に命じて播磨国へ侵攻。1578年(天正6年)、別所長治の三木城落城に続き三木通秋が籠もる英賀城も1580年(天正8年)に落城した。
遺構
- 土塁
参考資料・復元物・近隣施設など
- 本丸・二ノ丸周辺復元図
- 擬似石垣
- 英賀神社
交通
- 。
2024/05/20 17:49 中務少輔RedKing
英賀城:三木城、御着城と並ぶ。最古の水城、港に繋がれた巨石のよう(英賀岩繋城)。また、西は夢前川、南は播磨灘で黒田官兵衛が毛利水軍を破った(英賀合戦で小寺軍5百の10倍5千の浦(小早川水)軍)と聞くとどんなと期待すると、完全に市街地です。リア攻めが本丸跡石柱ですが、約500m西北の英賀城跡公園には模擬ではない(擬似)復元天守台が、南隣の県社英賀神社には土塁が、その500m東の英賀保小学校に大木之濠は址と河下口之跡石柱(縄張南限?)が、本丸跡石柱の300西(英賀西1丁目)の明蓮寺には秀吉によって亀山に移された英賀御坊(英賀本徳寺址)の石柱があります。
2024/05/04 08:37 やまてつ伊予守
英賀城:地蔵堂しかない!と思ったら、その反対に看板がありました。英賀の戦いの舞台です。
来月度の城主争い戦況
1位 播磨守ともももさん 40回
2位 スモモさん 34回
3位 みどりんさん 32回
攻略数:城 家臣団:人 |
異名:個 官位:個 |
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