三瀬館(みせやかた)

三瀬館 投稿者:うめさん左馬頭さん

城郭基本情報

名称(よみ) 三瀬館(みせやかた)
通称・別名 北畠具教三瀬館、三瀬御所
所在地 三重県多気郡大台町上三瀬字大戸地1012他
天気情報

11/22(金) 降水確率:20%
17℃[±0]6℃[-2] 詳細

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問い合わせ 三重県教育委員会事務局社会教育・文化財保護室[電話
分類・構造 平城
築城主 北畠具教
築城年 元亀2年(1571)
主な城主 北畠氏、森氏
遺構 曲輪、石垣、堀切、横堀(空堀)
指定文化財 県史跡(北畠具教三瀬館跡)
再建建造物 石碑、説明板
三瀬館跡は、上三瀬の北側にある鎌止山の裾野にあり、北畠具教は、裾野をほぼ三段に改修し、館の敷地を作った。

そして、ここに館を築き、松阪の大河内城から移った具教は、天正4年(1576年)に謀殺されるまでの4年間、居住していた。

しかし、敷地のどこに、どのような造りの家に具教が住んでいたのか、資料が発見されていない現在では、明らかではない。

館跡の西と南側には、万一の防備に役立つ深い谷川が流れていて、東と北側は山の急斜面になっている。

また、南側は開けており、三瀬一帯と宮川を隔てて舟木や度会の山々を見渡せることができる。

青年のころに具教は、当時「剣の達人」と言われた塚原ト伝から「一の太刀」の秘伝を受け、師匠の卜伝との居合わせでは、互角だったという話も残っている。

このように武道に秀でた具教にとって、名門の流れをくむ北畠家が、日に日に凋落していくのは我慢ならないことだった。

具教、熊野街道が通り、宮川流域の山深い要害の地(上三瀬)に館を築いて移り住み、機会があれば北畠の勢力を復興しようと、いろいろと画策したようである。

当時の伊勢地方の戦乱の様子を書いた「伊勢軍記」に、具教の三瀬隠居のことが次のように述べられている。

「具教卿は城を多気郡三瀬に立て、之に居住し給う。故に三瀬御所と号す。此谷、宮川の上、大杉山にありて、熊野、吉野、川上に続きて嶮難無双(たいへん山が深く険しいこと)の地なり。兵乱あるときは此の山中に入らんが為なりと言う。」

具教の三瀬隠居は単なる隠居ではなく。北畠氏復興の決意を胸に秘めてのことだったようである。

情報提供:大台町教育委員会事務局



城郭口コミ


2023/06/14 13:29装鉄城大膳大夫乱怒
三瀬館:国道42号線上三瀬バス停近くの点滅信号交差点を北の方へ。そのまま案内表示進むと田園の中に一台ほど止められる駐車スペースがあります。ここから歩くと5分ほどで三瀬館に着きました。ただ見張り台の方は行けませんでした。

2023/02/25 11:52RED副将軍
茶臼山砦:三瀬館の東側に築かれた砦跡🏯⁡オススメ度 ★★⭐︎⭐︎⭐︎⁡1571年に北畠具教が隠居するために新たに築かれた三瀬館と同時期に築かれたと思われます。見張り台として機能しました。⁡見所現在は、公園となっており三瀬館から歩いて行くことができます。堀切を挟んで南北二郭の削平地が残っています。

城郭攻略情報


2024/11/04 18:57
てち
道の駅飯高から
2023/06/18 09:28
あざらし肥前守
多気郡大台町佐原、道の駅奥伊勢おおだい。(❜21・9攻略)
2023/05/27 17:53
cookey式部卿
栃原駅
2021/09/02 15:47
琉球守風のこうちゃん播守
JR紀勢本線「栃原」→「川添」駅間で。
2021/07/22 17:52
糺森山城守
阿曽駅で。

城主争い

来月度の城主争い戦況

 1位 佐々木信濃守古志郎さん 157

 2位 北畠伊勢守顕家さん 129

 3位 樋口伊勢守与六さん 29

三瀬館の周辺スポット情報

 茶臼山砦(周辺城郭)

 五箇篠山城(周辺城郭)

 滝野城(周辺城郭)

 下滝野城(周辺城郭)

 高城(周辺城郭)

 北畠具教公胴塚(寺社・史跡)

 北畠神社(寺社・史跡)

 北畠具教の首塚(寺社・史跡)

 トイレ(トイレ)

 

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