名称(よみ) | 峯城(みねじょう) |
所在地 | 三重県亀山市川崎町森4155 |
天気情報 |
07/29(火) 降水確率:20% |
地図 | マップ/周辺の城/NaviCon |
問い合わせ | 三重県教育委員会事務局社会教育・文化財保護室[電話] |
分類・構造 | 平山城 |
築城主 | 峯政実 |
築城年 | 正平年間(1346〜1370) |
主な城主 | 峯氏、岡本氏、滝川益重、佐久間正勝 |
廃城年 |
天正18年(1590) |
遺構 | 曲輪、天守台、櫓台、土塁、横堀(空堀) |
指定文化財 | 県史跡(峯城跡) |
再建建造物 | 碑、説明板 |
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峯城(みねじょう)は、三重県亀山市川崎町森字殿町にあった日本の城(平山城)。
概要
正平年間に関盛政の五男・峯政実によって築かれたと云われる。
峯氏は政実以降六代続いたが、天正2年(1574年)、峯盛祐が長島一向一揆で討死すると弟与八郎が幼小であったため、岡本下野守が峯城主となった。
天正11年(1583年)、賤ヶ岳の戦いの前哨戦で滝川一益の家臣滝川益重によって攻められ峯城は落城するが、羽柴秀吉が大軍を率いて峯城を包囲し、数ヶ月の籠城の末に兵糧が尽きて益重は開城した。この戦いの後、織田信雄の家臣佐久間正勝が入城した。
天正12年(1584年)、秀吉と信雄が対立すると、小牧・長久手の戦いの前哨戦として秀吉は蒲生氏郷、関一政などに命じて峯城を攻めさせ、わずか数日で落城した。
天正18年(1590年)岡本良勝が亀山城に移されるにあたり廃城にされたと伝えられる。
2025/01/16 14:39 彦千代
峯城:亀山駅よりバス利用(本数が少ない、野登ルート、池山西行き)八島橋東下車,約10分にて南口に標識、案内板あるも、小生のアプローチが悪かったのか道がはっきりせず切岸をよじ登り竹藪の郭を掻き分け郭1伝天守台下に出る,これから北口迄はしっかりしています、井田川駅迄は徒歩約60分、
2025/01/01 22:13 気分爽快美濃守
峯城:リア攻めマップにある「柴崎地区・北側」搭乗口から行くのがわかり易いです。ソーラーパネルの横からお墓を過ぎた先に「かんざし井戸」の標識があり、後は道沿いに進めば城跡に到着です。主郭の先に西に台地を降り、台地沿いに「森地区・南側」搭乗口に通じる道があるようですが、途中から藪がひどく元来た道を引き返しました。①北側入口から向かうと最初に現れる虎口②主郭北の郭を土塁の上から③主郭北の堀切④主郭西の郭⑤天守台⑥主郭の切岸⑦主郭内部の南側。北側は凄い藪⑧⑥の上部。左は④右は⑦
来月度の城主争い戦況
1位 大蔵卿信秀さん 179回
2位 官兵衛3さん 175回
3位 Masa 弾正少弼さん 146回
攻略数:城 家臣団:人 |
異名:個 官位:個 |
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