名称(よみ) | 茂福城(もちぶくじょう) |
所在地 | 三重県四日市市茂福町26 |
天気情報 |
11/22(金) 降水確率:20% |
地図 | マップ/周辺の城/NaviCon |
問い合わせ | 四日市市教育委員会事務局社会教育課[電話] |
分類・構造 | 平城 |
築城主 | 朝倉(平)貞冬 |
築城年 | 応永年間(1394〜1427) |
主な城主 | 茂福(朝倉)氏 |
遺構 | 土壇 |
指定文化財 | 市史跡(茂福城跡) |
再建建造物 | 石碑、説明板 |
2024/07/04 21:19 図書頭RedKing
茂福城:江戸時代の東海道沿いで加えて近鉄電車も通っている田園地帯では、近世から営々と都市化が進められて、尚進化しているのでしょう。すぐ西に垂坂公園のある小山の方が、或いは隣の久留倍官衙遺跡の方が防衛上も展望も良さそうです。古代の東海道ルートが、官衙遺跡に近くて海岸線が沖に伸びていったとすると、城の目的が違うのでしょう。東海道沿いには、由緒ある式代社や、お伊勢さんのお古の資材製鳥居の神社等々が居並ぶことから、地域住民だけでない街道を往来する人々にとっても茂福の象徴だったのでしょう。
2024/05/26 21:16 RED副将軍
茂福城:越前朝倉氏の庶流である茂福氏の居城🏯オススメ度 ★⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎築城年代は不詳。応永年間(1394年〜1427年)に平貞冬により築かれたのが始まりと云われます。平貞冬は桓武平氏の系譜とされ、越前朝倉から戦乱を逃れてこの地へ逃れて土着。朝倉貞冬と称して築いたのが茂福城です。その後、朝倉下野守が北勢四十八家として茂福氏と称し、代々足利氏に仕えて茂福を領しました。1560年、同じ北勢四十八家である羽津城の田原国虎と茂福城の茂福盈豊が争った茂福合戦が勃発。神戸氏勢の援護を受けた茂福氏が勝利したとされます。1567年、茂福盈豊は伊勢に侵攻してきた織田信長に降りましたが、六角義賢に内通していたとされ...
来月度の城主争い戦況
1位 伊勢守じんちゃんさん 152回
2位 ててててててててててさん 149回
3位 城好き社労士さん 126回
攻略数:城 家臣団:人 |
異名:個 官位:個 |
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