名称(よみ) | 鏡島城(かがしまじょう) |
所在地 |
岐阜県岐阜市鏡島
周辺の宿 |
天気情報 |
08/03(日) 降水確率:50% |
地図 | マップ/周辺の城/NaviCon |
分類・構造 | 平城 |
築城主 | 石河光清 |
築城年 | 天文年間(1532〜1555) |
主な城主 | 石河氏 |
遺構 | 消滅 |
再建建造物 | 石碑、説明板 |
2025/07/26 05:29 猫耳感謝感激雨霰萌え
小紅の渡し:江戸時代以前は、技術的または軍事的な理由から大きな川には橋が設けられることは少なく、川を渡るには舟が用いられました。明治時代前期には、現在の岐阜市内で10ヵ所以上の渡しが確認できます。小紅の渡しは、現存する市内ただひとつの渡しで、県道文殊茶屋新田線の一部として運航されており、今でも鏡島弘法(乙津寺)の縁日(毎月21日)には多くの参詣者が利用しています。小紅の渡しの始まりは不明ですが、江戸時代前期の絵図に描かれており、加納藩主戸田氏の時代には本家(加納城)と分家(本巣郡文殊陣屋・北方陣屋)とを結ぶ街道の渡船場となりました。また、小紅の名の由来については、女性の船頭の名などの言い伝えがありますが、...
2025/07/25 23:40 猫耳感謝感激雨霰萌え
乙津寺:日本三躰厄除弘法大師瑞甲山 乙津寺(梅寺)奈良時代、七三八年行基菩薩が乙津島に乙津島に着船されここを仏法縁由の地と定め、自ら十一面千手観音像を刻み草庵に安置されました。八一三年弘法大師(空海上人)が嵯峨天皇の勅命を受け、当地で秘法を尽くし天に誓い地に伏し祈祷すること三十七日間行い、宝鏡を龍神に手向けますと忽ち滄海変して桑田と成りました。よってこの地を鏡島といゝ、寺を乙津寺と名付け七堂伽藍塔頭五ヶ寺鎮守等、多数が造営されました。大師は開山堂前に梅の杖を上下逆にして挿し、「仏法この地に栄えばこの杖に枝葉も栄ゆべし」と仰せられました。すると不思議にも杖に枝葉が生じ花をつけましたので、梅寺とも呼ばれて...
来月度の城主争い戦況
1位 わかさん 10回
2位 シオン美濃守さん 10回
3位 姉小路飛騨守卯月さん 7回
石碑・説明板(碑・説明板)
只越城(周辺城郭)
別府城(周辺城郭)
乙津寺(寺社・史跡)
立政寺(寺社・史跡)
前野渡船場跡(前野の渡し)(寺社・史跡)
乙津寺参詣者用駐車場(駐車場)
小紅の渡し(その他)
攻略数:城 家臣団:人 |
異名:個 官位:個 |
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