岩瀬城(いわせじょう)

城郭基本情報

名称(よみ) 岩瀬城(いわせじょう)
通称・別名 西岩瀬城
所在地 富山県富山市四方西岩瀬定籍
天気情報

05/05(日) 降水確率:10%
26℃[+2]13℃[+3] 詳細

地図 マップ周辺の城NaviConYahoo!カーナビ
分類・構造 平城
築城主 桃井直常?
築城年 南北朝時代
主な城主 桃井氏、荒川長実(上杉氏家臣)
遺構 消滅
岩瀬城(いわせじょう)は富山県富山市四方西岩瀬にあった城である。西岩瀬城ともいう。

遺構 

神通川の左岸、富山湾に面する海岸砂丘の低湿地上に位置する。

現在は、城跡周辺は宅地となっており、その遺構を確認することはできないが、四方西岩瀬定籍に所在する北陸観音霊場第三十番・海禅寺のある場所が岩瀬城の本丸跡である。海禅寺によると、宅地が造成される以前、周辺は耕作地であり堀跡のようなものがあったという。

『富山市遺跡地図』では、海禅寺の北西約200mの「四方北窪(よかたきたくぼ)遺跡」を岩瀬城跡推定地としているが、明確な城郭遺構は検出されていない。ただし、上ノ国勝山館(北海道)や浪岡城(青森県)などから出土している天目模倣瓦質碗(天目茶碗の模倣品)が出土していることから、周辺に中世の権力者の存在を伺わせる。

歴史 

築城年、築城主ともに不明だが、興国5年〔南朝〕/康永3年〔北朝〕(1344)に越中守護となった桃井直常が構えた城郭のひとつであるとも考えられる。

直常は、はじめ足利尊氏に従って室町幕府成立に功があったが、観応の擾乱が起こると足利直義方の中核武将として各地に戦った。しかし、直義が殺害された後は次第に追い詰められ、一説では最期、岩瀬城に火を掛けて自害して果てたという。

戦国時代には、天正5年(1577)の手取川の戦いで織田軍を破った上杉謙信が、加賀・能登・越中支配のために配置した武将の中に、岩瀬城代として荒川伊豆守(長実)の名が見える。

江戸時代になると、富山藩2代藩主・前田正甫(まさとし)が岩瀬城本丸跡に海禅寺を移し、放鷹の際の宿所とした。

交通 

・富山ライトレール富山港線蓮町駅から車で約10分

参考文献 

・『佐々成政のすべて(花ヶ前盛明編)』新人物往来社、2002年。
・『富山国際大学地域学部紀要 第8巻』富山国際大学、2008年。
・『分譲宅地造成工事に伴う埋蔵文化財発掘調査報告書 四方北窪遺跡』富山市教育委員会、2000年。
・『海禅寺由緒略記』海禅寺。


城郭口コミ


2022/08/05 19:02内灘守
岩瀬城:とにもかくにも、場所が全然わからない。ナビを頼りに、探して下さい。現、海禅寺です。案内や立看板もない。難儀しました。

2022/05/29 05:06ハル監物ハル
東岩瀬城:岩瀬運河を造った時に滅失し、遺構は残っていないそうです。当時、調査はされたのだろうか?運河の南側に堀の付く字があるのでそちら側まで城だった可能性があるのではないでしょうか?

城郭攻略情報


2024/04/08 21:12
越前守あけっつぁま
あいの風とやま鉄道 東富山駅にて、豊田城、岩瀬城 同時攻略
2024/03/04 09:25

あいの風とやま鉄道呉羽駅
2023/07/06 11:11
あざらし肥前守
富山市東岩瀬町、北前船回船問屋森家。(❜18・1攻略) 
2020/08/31 10:36
綱島出雲守八雲
可 北陸新幹線にて!
2020/08/23 22:40
常陸介清蔵
岩瀬城へ向かって車で移動。県道7号線の富山石坂郵便局付近で攻略しました。

城主争い

来月度の城主争い戦況

 1位 きむりん左近衛大将さん 33

 2位 そら越前守さん 27

 3位 まっちゃんスライスさん 8

岩瀬城の周辺スポット情報

 東岩瀬城(周辺城郭)

 

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