富士見城(ふじみじょう)

富士見城 投稿者:d.f.t.渡島守さん
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00時間

45

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城郭基本情報

名称(よみ) 富士見城(ふじみじょう)
通称・別名 大室城
所在地 長野県小諸市諸字城峯
天気情報

06/03(火) 降水確率:60%
18℃[-6]15℃[+8] 詳細

地図 マップ周辺の城NaviConYahoo!カーナビ
問い合わせ 小諸市教育委員会文化財・生涯学習課[電話
分類・構造 山城
築城主 大井氏?
築城年 室町時代?
主な城主 柴田康忠(徳川氏家臣)
遺構 曲輪、石垣、横堀(空堀)、虎口
再建建造物 説明板
※この城郭は2025年4月6日に名称と位置が変更となりました。

富士見城(ふじみじょう)は、長野県小諸市大字諸字東房にあった山城。大室城とも呼ばれる。

立地 

高峰山の広大な南傾斜面に独立峰のようにできた丘陵である飯綱山の山頂に立地し、南側の諸集落からは145mほど急斜面を登るのに対して、北側の後平集落からは30mほどのところである。

眺めが良く、晴れていれば富士山を遠望できることから、富士見城の名がついたものと考えられる。

歴史 

誰が、いつ、この城を造ったのか明確ではないが、中世は西の滋野氏系の勢力と隣接する地域であることから、大井氏系の勢力と緊張状態が生まれた頃、境目の城としての砦が造られたのではないかと考えられている。

この頃の時代は、普段生活する場(根小屋・居館と呼ばれる)と戦闘の際に使われる城・砦とが別である例が多くあり、この富士見城の場合も人がここに常時生活していたものではない。

甲州(山梨県)の武田氏が佐久地方へ進出した頃(天文年間=1532~1554)には、佐久地方統括の拠点、小諸鍋蓋城(小諸城の前身)の支城として整備され、多少の石垣が積まれたのではないかと考えられている。

武田氏滅亡後、天正10年(1582)は、徳川・上杉・北条という諸氏が信州を取り合う中で、西に隣接する小県地方に根を張る真田氏と徳川氏の争うところとなり、徳川家康の家臣である柴田康忠が一時在陣したと言われている。

これまでの研究からすると、少なくとも戦国時代の終わり頃にはできていたものと思われる。

特徴 

富士見城は、飯綱山全体が岩石で至る所に石があることから、その石を利用してほとんどの郭(曲輪)が石積みによって区画されている。この石材は、飯綱山溶岩(灰色細流1mm以下の輝石類の散点する普通輝石紫蘇輝石安山岩)と呼ばれ、市内では飯綱山だけに分布している。

富士見城の石垣は、きわめて原初的な石垣で、県内でもこれだけ石垣が多用されている城跡は数少ないと言われている。

情報提供:小諸市教育委員会



城郭口コミ


2025/05/08 10:24内記かずりヾ(・ε・。)
富士見城:さて、アプリの登録城に昇格したのを記念して、佐久平の丘城の口コミをREDUX…なんだけど、ちょと変わった子なんで暖かい眼で見守ってあげてね。富士見城(大室城)は栃木川西岸(右岸)、花川東岸(左岸)、丘陵台地上、標高853.6mの飯綱山山頂部を中心に立地する要害です。南麓の長野県道79号、小諸上田線からの比高は150m位でしょか。但し、該地は浅間連山を構成する一山、標高2106mの高峯山の南西裾野に当たり、北麓の後平(!)公民館からの比高は45m位である。行き方はGoogleマップに位置登録されているのでダイレクト設定して下さい。同じく位置登録がある南東側の「小諸高原美術館」まで車が入り巨大な駐...

2025/05/02 08:59紅屋甲斐守じょん太
富士見城:石垣や堀切が綺麗でした。写真はたんぽぽと三の郭の石垣。

城郭攻略情報


城主争い

来月度の城主争い戦況

 1位 仙石越前守秀康さん 20

 2位 甲斐守よっしーさん 16

 3位 れん右衛門督さん 11

富士見城の周辺スポット情報

 案内板(碑・説明板)

 駐車場(駐車場)

 

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