大島城(おおしまじょう)は、信濃国伊奈郡(現在の長野県下伊那郡松川町元大島)にあった日本の城。別名台城 (だいじょう)・伊那大島城。松川町指定史跡。なお、同じ下伊那郡の大鹿村にある大島城とはまったく別の城である。
概要
平安時代末期に片切氏より分かれた大嶋氏により築城されたという。戦国期には武田信玄が秋山虎繁(信友)に命じて大改修を施したとされ、永禄(1558年-1570年)初年ごろと推定される年未詳8月18日武田晴信書状では、虎繁と推定される「秋山善右衛門尉」と室住虎光の在城が確認される。虎繁は大島城を拠点に下伊奈郡代(郡司)として伊奈郡の支配を行った。
信玄後期から勝頼期の平山城の特徴である、台地の突端部を利用し戦闘正面を限定させる構造となっている。甲州流築城術の特徴である丸馬出し、三日月堀、枡形虎口などの遺構も良好な状態で残る。天竜川を背に城の側面・背面は台地の断崖となっており、前面の空堀がこの断崖へと続いている。また城正面の丸馬出には外周土塁はないが、外側の三日月堀は二重となっている。この丸馬出には左右両側の土橋から入る。丸馬出から城内に入ったところには枡形虎口がある。さらに北側台地端には角馬出が設けられている。
主な城将は武田逍遥軒信綱(信廉)・日向虎頭(玄徳斎)。武田氏の伊奈谷南部の拠点であり、遠江・三河・美濃侵攻の兵站基地でもある。1582年(天正10年)3月、織田信長による甲州征伐に際し織田信忠が信濃に侵攻すると、国人衆が動揺・戦意を喪失し、戦うことなく大島城は織田方の手に渡った。
歴史
大島城は鎌倉時代、当時の大島町(現在の古町、新井地区のあたり)を支配していた豪族の大島氏によって造られた山城で、戦争など有事のために天竜川へ突き出した攻められにくい土地を活用して築城された。大島氏は、片切氏の初代(片切為基)の孫の宗綱が平安時代末期に名子郷の東に続く大島郷に移り住み、土地の名をとって大島八郎宗綱と名乗ったことにはじまる。
その後、大島氏は鎌倉、室町、戦国時代まで大島町を統治し、城を所有してきたが、戦国時代の1554年(天文23年)に伊那郡を攻めてきた武田信玄がこの城を大島氏から取り上げ、1571年(元亀2年)に大規模で複雑な形に大改築する。武田信玄は三河へ進出するための伊那谷の拠点として、天竜川の水運による物資の輸送も想定でき、なおかつ攻められにくい地形にある大島城に目をつけ、さらに守りの堅い城に作り替えるため少なくとも2回の大改修を行った。
1582年(天正10年)3月に織田信長が伊那郡に侵入したとき、大島城は信玄の弟の武田信廉と城代日向玄徳斎、小原丹後守、安中七郎、依田能登守以下700余人が守備していたが、武田信廉は織田軍の進撃に驚き、夜中に城に火をつけて逃げてしまったことが信長の一生を書いた『信長公記』などに記されている。武田信廉は上原城(茅野市)に陣していた武田勝頼にも会わずに甲斐へ逃走した。このため、城兵の多くが逃走して大島城は戦わず自落し、織田勢に占領された。それでも、旧城主の大島為継や宗家の片切政忠らは自害、もしくは潔く戦死したと伝わる。この時農民達は自宅に火を付け、織田軍の方に走り寄ってきた。農民らは「勝頼は新規の税や労役を課し、関所を築いて通行料を取るなどし、苦労が絶えなかった。重罪人でも賄賂を受け取れば放免し、軽い罪でも治安のためと言い磔にかけ、または斬首した。この為我々は嘆き悲しみ、身分上下関係なく勝頼を憎み、この土地が信長領になればいいのにと思っている。」と口々に語り、人々は織田方に味方しようと必死に動いたのであった。ちなみに武田信廉は勝頼自害後、織田方に捕らえられて府中立石(甲府市)にて斬首された。
その後、6月に本能寺の変により信長が急死。空き地となった信濃を巡り、徳川・北条・上杉が争う「天正の壬午の乱」が勃発。大島城は一時的に徳川家康の管理下に置かれ、家臣の菅沼定利らが守備に入ったが、地域の情勢が落ち着いたのちに役目を終え、廃城となった。
大島城は当初の小さな砦から伊那地方の重要な一大拠点へと変貌を遂げたため、周辺から「大城(おおじょう/だいじょう)」と呼ばれるようになる。この「大城」という響きが、のちに段丘の地形を表す「台」の字と結びつき、「台城」へと転じたとも伝えられる。
現在は台城公園となっている。
大蛇ヶ城の大蛇伝説
大蛇が城(大島城)の崖下にある天竜川の深い淵には大蛇が棲み、時々白い息を吹き上げ城を隠していた。1582年に織田の大軍が白い霧で包まれたこの城を攻めあぐねた時、これは大蛇の仕業だと淵に無数の矢を射込むと、大蛇が浮き上がり、白い霧が晴れ、城が落城した。という伝説が残る。
金鶏伝説
大島城の井戸跡には金の鶏という伝説が語り継がれている。敵兵に攻め込まれ、荒れ狂う城兵と猛火とともに落城する大島城を見た姫は最期を悟り、可愛がっていた金の鶏とともに井戸に身を投げて死んでしまったという悲話である。今でも元旦の朝、井戸のほとりで耳を澄ますと、遠くの地の底からかすかに鶏の鳴く声が聞こえて来ると言われている。
参考文献
- 松川町編 『伊那大島城・解説』(https://www.town.matsukawa.lg.jp/material/files/group/10/0000014408.pdf)
- 南原公平 著『信州の城と古戦場』 しなのき書房 2009年
- 【書籍】「 信濃堀之内城・布引城郭群の馬出の謎 」
- 山下孝司「大嶋城」(丸島和洋編『武田信玄の子供たち』宮帯出版社、2022年)
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