羽茂城(はもちじょう)

城郭基本情報

名称(よみ) 羽茂城(はもちじょう)
所在地 新潟県佐渡市羽茂本郷字上ノ平
天気情報

11/22(金) 降水確率:50%
13℃[±0]9℃[+1] 詳細

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問い合わせ 佐渡市教育委員会羽茂事務所[電話
分類・構造 山城
築城主 羽茂本間氏
築城年 14世紀頃
主な城主 本間氏、上杉氏、富永氏、黒金氏
廃城年 慶長3年(1598)
遺構 曲輪、土塁、馬場跡
指定文化財 県史跡(羽茂城跡)
再建建造物 碑、説明板
羽茂城跡は、羽茂本郷東側の独立台地上に築かれた典型的な中世山城の跡で、本城、二の城、北の城、馬場等の跡を残し、本城跡には殿屋敷、奥方屋敷、五社城、荒神城、南の城等の跡、その他の遺構をよく残しています。

また、羽茂平野周辺には、この羽茂城を中心に、西方城、清士岡城、岡田城、村山城、須川城、平城と、海に向かって縦深陣地が築かれ、背後には、上山田、飯岡、大崎、滝平等、各支城を配する雄大な布陣が見られます。

羽茂本間氏は、真野地区の吉岡本間の分かれといわれ、南佐渡の拠点としてこの城を構築したとされます。進出の年代は、鎌倉期(1263ころ)から見られ、「飯岡八幡宮棟札一正和2年(1313)」や、「熊野神社棟札一元亨2年(1322)」等に、城主と思われるものの法名や一族の名を残しています。

その後、大蓮寺本尊の木造阿弥陀如来坐像墨書や天満宮河原畠寄進状等の残る応永33年(1426)のころ勢力を張り、熊野権現や八幡宮に棟札を残す対馬守淳季の代(1510ころ)から、天文19年(1550)のころにかけて佐渡を二分する勢力を得ますが、秀吉の天下統一による上野景勝の佐渡攻めのため、天正17年(1589)に落城しました。

従来、羽茂本間氏の定着は清士岡城から始まったとされてきましたが、羽茂町誌によって羽茂平野の中央「城ノ内」とされました。これは、清士岡城では規模が小さいことや、鎌倉末期には山城に拠らず平地に館を構えたこと、「城ノ内」の地が羽茂郷のいかにも中央に位置すること等によるものです。

構築の時期は、天満宮河原畠寄進状や大蓮寺本尊阿弥陀如来像の胎内銘の法名の見える「眞本入道」の壮年期、すなわち、南北朝期から応永年間(1394~1427)であろうと思われます。 昭和52年、町道大谷線工事のため、北の城地区にかかる発掘調査が行なわれ、城内鍛冶跡や建物跡、建物の柱穴跡がさらに北の城跡へ続いていることが知られ、多くの陶器片等が発見されました。

情報提供:佐渡市文化財室



城郭口コミ


2024/10/29 14:50INO【兒】左京大夫
小木城:公園として整備されているようです。遺構は空堀が残っています。

2023/12/02 21:36篠沼大膳大夫義久
羽茂城:羽茂城、五所城、荒神城など様々な呼び名の標柱があります。冬の雨の中、一周しましたがたのしかった。城主と同じ本間さんのお墓もあり、またお屋敷もあります。一族なのかな。

城郭攻略情報


2023/07/09 19:00
あざらし肥前守
公共交通:一例新潟交通佐渡バス・両津〜河原田本町で小木線に乗換、真野御陵入口〜徒歩10分、佐渡歴史伝説館で、佐渡ワンデーパス(紙チケット)利用・施設等割引あり。(❜18・4攻略)
2022/10/16 19:10
Aimura修理大夫
新日本海フェリーの新潟ー敦賀航路の船上で攻略
2022/10/09 17:53
陸奥権中納言景衡
国道350号を南下し、滝脇の看板を少し過ぎ、滝脇バス停辺りで攻略できました。
2021/08/10 20:47
伊豆守清蔵
国道350号を南下、滝脇バス停と背合バス停間で攻略。
2020/07/25 10:05
淡路守真吉
新潟市役所から402号を間瀬サーキットまで南下しましたが攻略できずかなりポチしまくりましたがダメでした車で駆け抜けてしまったのでどこかで下車する必要があったかもしれませんソフトバンク アンドロイド

城主争い

来月度の城主争い戦況

 1位 ぴか越後守さん 12

 2位 下総守satomiさん 7

 3位 悟兵衛さん 4

羽茂城の周辺スポット情報

 羽茂城址略図(碑・説明板)

 展望所(碑・説明板)

 仮屋城址の碑(碑・説明板)

 小木城(周辺城郭)

 羽茂城主本間氏菩提寺 大蓮寺(寺社・史跡)

 羽茂城跡入口(その他)

 

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