名称(よみ) | 住吉城(すみよしじょう) |
所在地 | 神奈川県逗子市小坪5 |
天気情報 |
11/22(金) 降水確率:20% |
地図 | マップ/周辺の城/NaviCon |
分類・構造 | 平山城 |
築城主 | 不明 |
築城年 | 鎌倉時代? |
主な改修者 | 北条早雲 |
主な城主 | 北条早雲、三浦氏 |
遺構 | 曲輪 |
再建建造物 | 説明板 |
戦国時代初期には、伊豆・小田原を本拠に相模国制圧に乗り出した北条早雲が、鎌倉時代初期までの三浦氏の傍流で相模国の豪族となっていた相模三浦氏を攻め、永正9年(1512年)8月、当主の三浦義同(道寸)は本拠の岡崎城(現伊勢原市)を落とされた後、小坪の住吉城に籠もる。しかし住吉城も早々に落とされ、三浦義同は新井城(または三崎城、現三浦市)に逃れ、3年の篭城戦の後に滅ぼされた。
住吉城址は逗子マリーナ背後の飯島崎の山上にあり、現在は住吉神社となって、砦の遺構と思われるものは残っていない。相模三浦氏の砦以前に、鎌倉幕府により鎌倉と三浦半島との間の防衛拠点として築かれていたと言われ、また、治承年間の小坪合戦時に三浦勢が陣を敷いたのもこの近辺と考えられることから、鎌倉時代以前から既に砦の原型は存在していた可能性もある。
本解説文(基本情報を除く)は、クリエイティブ・コモンズ・表示・継承ライセンス3.0のもとで公表されたウィキペディアの項目「小坪」を素材として二次利用しています。
2023/08/05 19:22 kaba-maru掃部允
三浦道香主従の墓:永正合戦の住吉城落時、相模三浦氏の実質的な当主・三浦義同(道寸)は新井城に落ち延びますが、弟で住吉城主の三浦道香はこの地で自刃したと言われています。延命寺境内のこの石塔は、道香主従7騎の墓と伝えられています。
2023/07/21 22:02 kaba-maru掃部允
住吉城:住吉神社脇にある小洞窟。謎の穴として何件か投稿されていますが、戦後に向こう側の小字名「ぼんばた」の畑地(現在はマンション望洋邸敷地)への通行の便のため、地元の人が掘ったものだそうです。両側から掘り進めたものの、測量にズレがあったようで、トンネル途中でクランク状態になっています。出口は現在封鎖されています。季節によっては、内部にはオオゲジがウジャウジャ。
来月度の城主争い戦況
1位 刑部卿とんタンさん 145回
2位 kaba-maru掃部允さん 98回
3位 右近衛大将ぴかりんさん 64回
攻略数:城 家臣団:人 |
異名:個 官位:個 |
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