| 名称(よみ) | 勝沼氏館(かつぬましやかた) |
| 所在地 | 山梨県甲州市勝沼町勝沼 |
| 天気情報 |
06/12(金) 降水確率:50% |
| 地図 | マップ/周辺の城/NaviCon |
| 問い合わせ | 山梨県教育委員会教育庁学術文化財課[電話] |
| 分類・構造 | 連郭式平城 |
| 天守構造 | 不明 |
| 築城主 | 勝沼信友 |
| 築城年 | 永正17年(1520)頃 |
| 主な改修者 | 勝沼氏 |
| 主な城主 | 勝沼氏 |
| 遺構 | 曲輪、土塁、横堀(空堀) |
| 指定文化財 | 国史跡(勝沼氏館跡) |
| 再建建造物 | 模擬橋、模擬門、石碑、説明板 |
2026/06/12 05:21 千葉相模守早雲
四郎作古戦場の碑:「しろうづくり」と読むそうです。天正10年3月11日、武田勝頼から家臣が次々に離反する中、以前に勝頼の勘気を被り蟄居謹慎を命じられていた小宮山内膳友晴は主君の危機に駆けつけます。「譜代の臣でありながら、武田家最後の戦いに臨めなかったら、小宮山家末代までの恥辱であり、武士道にも背く」と小宮山内膳は許しを請い、勝頼は許します。その後、小宮山内膳友晴は奮戦しますが、鳥居畑で討死を遂げます。1.石碑(表)2.石碑(裏)
2026/06/11 05:49 千葉相模守早雲
景徳院:武田勝頼は織田軍による甲州征伐において、新府城に火を放ち岩殿山城へ向かうも小山田信茂の謀反により進路を塞がれます。後ろからは織田軍が迫り、北西の栖雲寺を目指しますが寺を焼かれて果たせません。土屋昌恒の千人切りの活躍もあり、何とか田野の地まで逃れてきた武田勝頼一行ですが、滝川一益に命じられた滝川益重・篠岡右衛門の隊に囲まれて、進退極まり、自刃して果てました。勝頼37才、北条夫人(北条氏政の妹、桂林院)19才、嫡男信勝16才だったそうです。天正壬午の乱後に甲斐を治めた徳川家康は積極的に武田遺臣を登用し、小幡勘兵衛に命じて田野の地に勝頼の菩提を弔う「田野寺」を建立させました。後に勝頼の戒名である「景...
来月度の城主争い戦況
1位 タケ甲斐守さん 59回
2位 桐 水 隼人正さん 36回
3位 四乃葉甲斐守龍斬丸さん 23回
東門木橋(遺構・復元物)
土塁、空堀跡(遺構・復元物)
勝沼氏家臣屋敷跡(遺構・復元物)
勝沼氏館外郭域(東郭)(遺構・復元物)
説明板(碑・説明板)
説明文(碑・説明板)
柏尾古戦場碑・説明板(碑・説明板)
岩崎館説明板(碑・説明板)
四郎作古戦場の碑(碑・説明板)
鳥居畑古戦場の碑(碑・説明板)
血洗沢(碑・説明板)
鞍懸(碑・説明板)
武田勝頼公腰掛石(碑・説明板)
蜂城(周辺城郭)
旭山城(周辺城郭)
茶臼山烽火台(周辺城郭)
岩崎氏館(周辺城郭)
尾崎神社(寺社・史跡)
景徳院(寺社・史跡)
姫ケ淵(寺社・史跡)
土屋惣蔵片手切り(寺社・史跡)
大蔵原思案石(寺社・史跡)
有馬晴信謫居の跡(寺社・史跡)
天目山 栖雲寺(寺社・史跡)
トイレ(トイレ)
公衆トイレ(トイレ)
市営 天目公衆トイレ(トイレ)
史跡勝沼氏館跡駐車場(駐車場)
市営景徳院駐車場(駐車場)
天目山駐車場(駐車場)
武田勝頼公銅像(その他)
笹子峠(旧甲州街道)(その他)
| 攻略数:城 家臣団:人 |
異名:個 官位:個 |
|
| ユーザー名タップで詳細表示 | 報告 | |