佐是城(さぜじょう)

佐是城 投稿者:山内侍従伊右衛門俊胤さん

城郭基本情報

名称(よみ) 佐是城(さぜじょう)
通称・別名 佐瀬城
所在地 千葉県市原市佐是字武城他
天気情報

05/07(火) 降水確率:50%
23℃[-4]20℃[+3] 詳細

地図 マップ周辺の城NaviConYahoo!カーナビ
問い合わせ 市原市埋蔵文化財調査センター[電話
分類・構造 平山城
築城主 佐是氏
築城年 鎌倉時代
主な改修者 武田国信
主な城主 佐是氏、武田氏
遺構 曲輪、土塁、横堀(空堀)
再建建造物 石碑、説明板
佐是城(さぜじょう)は千葉県市原市佐是にあった城である。

遺構 

市原市を流れる養老川の蛇行部左岸にある河岸段丘上に築かれ、養老川とその支流を天然の堀としている。

北の丸にあたる明性院敷地の南東に主郭があり、主郭南側には二郭、三郭が続く。主郭周辺では土塁や空堀が残存するが現状はそのほとんどが竹藪に覆われている。

また明性院から内堀を挟んだ北側の光福禅寺周辺も城域に含まれる内曲輪とされ、古墳を利用した土塁や虎口跡が残り城址碑・説明板等が整備されている。

歴史 

鎌倉時代、佐是禅師円阿(佐是四郎祥師説もある)が堀の内に「館」を構えたのが始まりとされる。

天文年間(1532~1555)に武田国信が祖父信長によって佐是に配された際に城を大改修したとされることから、この時期に現在見られる城域の原型が形成されたと推定できる(『庁南武田氏系図』や『市原郡志』では国信が築城したとしているが、前述の館から実戦的な城郭へと改修したことを指すとみられる)。

天文21年(1552)、武田国信は椎津城へ援軍として赴いた際に戦死し、その後佐是城は里見勢の攻撃を受けて落城したという。

交通 

・小湊鐵道上総牛久駅から徒歩で約30分

参考文献 

・『市原市文化財センター年報』市原市文化財センター、1994年12月。
・佐是城跡現地説明板。
・『日本城郭大系 第6巻』新人物往来社、1980年。
・光福禅寺公式サイト(http://kofukuzenji.sakura.ne.jp/)。


城郭口コミ


2023/04/14 15:14マタローちゃん式部大輔
佐是城:国道297号から南西方向に入り小湊鉄道の下をくぐったら直ぐ南へ向かって農道を進むとほぼ行き止まりになる。ちょうどそこに車二台分くらいのスペースがあった。そこから徒歩で民家の前を過ぎると少し山道に入る。程なく妙見神社の鳥居と祠が見える。主郭部分はこの奥らしいがこれ以上進めなかった。

2022/11/02 21:45国府左京大夫城介
真ヶ谷城:築城者は不明だが、上総における境目の城の一つ【歴史】築城者・築城年代共に不明。研究者によって、幾つかの説があります。①真里谷武田氏によって築城され、永禄7年(1564)の第二次国府台合戦頃に里見氏により改築された。②永正末から天文年間(1520頃~1555)の間に、在地の有力豪族である長崎氏が築城した。③長南武田氏が、里見氏に対する境目の城として、城域の拡大と改築を行った。【遺構】佐是城から東に約3.5kmにある標高70m(比高40m)ほどの細長い丘陵に築かれており、牛久から長南・茂原を結ぶ街道を監視できる立地にある。遺構としては、曲輪・腰曲輪・堀切・土橋・土塁・切岸などが明瞭に残っている。曲...

城郭攻略情報


2024/03/16 07:53
かつアニぃ大宰大弐
久留里線、東横田駅と馬来田駅の間、真ん中らへんかな。無事攻略。
2023/12/19 09:18
九曜紋東市正
木更津駅から久留里駅に移動中、東横田駅と馬木田駅の間で、馬木田駅へ入構直前のカーブ(近接部)で攻略。
2023/08/28 09:58
刑部少輔Zanzan
小櫃駅で攻略
2023/07/13 15:17
あざらし肥前守
木更津宿泊、JR久留里線で木更津市下郡、道の駅木更津うまくたの里を訪ねたとき。(❜19・12攻略)
2022/06/11 13:29
taka上野介
久留里線 東横田駅から久留里方面に少し乗ると攻略できました

城主争い

来月度の城主争い戦況

 1位 ねもちゃんさん 38

 2位 まさ!左衛門尉さん 37

 3位 笠城中務少輔重時さん 32

佐是城の周辺スポット情報

 土塁(遺構・復元物)

 土塁跡(遺構・復元物)

 空堀跡(遺構・復元物)

 土塁跡(遺構・復元物)

 説明板(碑・説明板)

 池和田城(周辺城郭)

 川原井里見城(周辺城郭)

 真ヶ谷城(周辺城郭)

 鶴舞城(周辺城郭)

 駐車場(駐車場)

 1郭への登城口(その他)

 2郭への登城口(その他)

 

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