| 名称(よみ) | 我孫子城(あびこじょう) |
| 所在地 | 千葉県我孫子市並木6 |
| 天気情報 |
05/17(日) 降水確率:0% |
| 地図 | マップ/周辺の城/NaviCon |
| 分類・構造 | 平山城 |
| 築城主 | 我孫子氏? |
| 築城年 | 戦国時代 |
| 主な城主 | 我孫子氏 |
| 遺構 | 消滅 |
2026/04/07 20:45 マグロ常陸介祐平
柴崎城:東国闘戦見聞私記(皆川広照の口述を元にしたとされる軍記物)によると永禄4年(1561年)に一色氏の小文間城を攻めた武将として柴崎城主荒木三河守の名が見られることから、東葛飾郡誌では荒木氏を城主とし、配下に柴崎氏がいたとするようですが、本土寺の過去帳に永正2年(1505年)中相馬柴崎八郎四郎、永正3年に中相馬柴崎右馬五郎の名前が見られることから、我孫子市史では柴崎氏が城主と考えるのが妥当としています。ただし柴崎氏に関してはそれ以上の資料もなく、忽然と現れ、忽然と消え去った出自不明の謎の氏族としています。約500m程西の同一台地上に鎮座する柴崎神社(写真3,4枚目)は元の名称を妙見社といい、平将門...
2025/08/05 23:25 マグロ常陸介祐平
我孫子城:我孫子氏の居城とされています。本土寺過去帳によると、文明6年(1474年)に高城周防入道の母の妙林尼がアヒコにて亡くなったとしているので、その頃には高城一族がこの地にいた事がわかります。その後も高城彦四郎、高城和泉守の妻の妙泉尼、高城周防守、高城和泉守などの名が見られるます。また、長享2年(1488年)アヒコ彦二郎が武州高見原で討死したととしており、高城氏が在地名の我孫子を名字としたものと考えられているようです。江戸時代初期に元本が書かれたとされる八木原文書「高城家之由来」によると、永禄7年(1564年)国府台の合戦に我孫子但馬守、天正11年高城胤則の後見に我孫子丹後守、天正18年の小田原の役...
来月度の城主争い戦況
1位 七代目尾張守宗春さん 125回
2位 さんのまるさん 93回
3位 シュラーフ隼人佑さん 82回
| 攻略数:城 家臣団:人 |
異名:個 官位:個 |
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