有吉城(ありよしじょう)は、千葉県千葉市緑区おゆみ野有吉にあるとされた日本の城。現在は発掘調査により、有吉の地内で城跡として伝承されてきた範囲には存在していなかった可能性が高いと判断されている。
歴史
1538年(天文7年)の第一次国府台合戦で、小弓公方の足利義明が敗死したのち、里見氏が小弓公方に変わって房総を支配する形となった。そこで、北条氏康は里見氏に対する防備を厳しくすべく、妹婿の千葉氏胤と図って、川越城主の北条綱成を生実に派遣し、里見氏に対する防衛の城を有吉に築かせた。
1552年(天文21年)、里見氏は房総の北条氏の勢力を一掃するべく、有吉城を攻めた。城主北条綱成はよく防戦し、里見軍を撃退した。
1564年(永禄7年)の第二次国府台合戦では、里見軍が国府台に進出したことから、その途中にあった有吉城は廃城になったものと考えられている。
発掘調査の結果
有吉城は、おゆみ野有吉の「字西側」に所在したと伝わる。現在の千葉県の埋蔵文化財包蔵地地図では、千葉市立扇田小学校東側から有吉公園とその北側の住宅地にかけての南北約400メートル×東西約600メートルの範囲が「有吉城跡」として設定されている。
しかし、当遺跡がニュータウンとして大開発されるにあたり、1984年(昭和59年)から1997年(平成9年)にかけて行われた大規模発掘調査では、縄文時代から平安時代までの集落や古墳時代の古墳など様々な時代の遺構見つかったが、中世の城跡を示す遺構が何ら発見されなかった。このため、調査を行った千葉県文化財センターは同地は有吉城ではないとし、何故、有吉城跡として伝承されたのかは不明と結論付けた。また、西隣にある「城ノ台遺跡」からは、小規模な土塁や空堀、虎口が検出され、名の示すように城郭遺跡である事が確認されたが、軍記物などに見える有吉城の規模には及ばないため、こちらも有吉城とは言えないとされている。
なお、当発掘調査報告書では、有吉城の推定地として木更津市有吉の地を挙げる説もあるとしている。
アクセス
参考文献
- 千葉県文化財センター 2002『千葉市有吉城跡〈千葉県文化財センター調査報告421:千葉東南部ニュータウン〉(http://doi.org/10.24484/sitereports.31562)』千葉県文化財センター他
- 千葉県教育振興財団 2006『千葉市城ノ台遺跡〈千葉県教育振興財団調査報告539:千葉東南部ニュータウン〉(http://doi.org/10.24484/sitereports.31654)』都市再生機構千葉地域支社他