田子館(たっこだて)は、青森県三戸郡田子町田子字風張・相米字相米向にあった日本の城。南部氏の田子前館(たっこまえたて、別名・牛尾館)と佐々木(笹木)氏の田子館(たっこたて、別名・佐々木館)の2館の総称。2館は別々に町の史跡に指定されているが、埋蔵文化財包蔵地としては「田子館(たっこだて)」として同一遺跡となっている。
概要
「田子」は戦国時代にみえる地名で「達戸」とも書いた。田子館は、熊原川の支流・相米川の右岸に面した丘陵の、標高120メートルほどの平坦部に立地する東西200メートル×南北120メートル規模の平山城(居館)である。城跡は、田子前館(牛尾館)は田子町立田子中学校校庭、田子館(佐々木館)は畑地になっている。
田子前館(牛尾館)
田子前館は、明応年間(1492年-1501年)に第20代当主・南部信時が引退を機に、同地にあった佐々木氏(笹木氏)の居館を接収して南部氏のものとなったと伝えられる。以後およそ100年間、光康・高信・信直まで当主が代々利用した。慶長3年(1598年)の『館持御支配帳』には「田子前館 三百石 南部信直」とある。
永禄年間(1558年 - 1570年)の南部氏内訌時の館主は信直であり、第27代当主となる嫡男の南部利直も同所で生まれた。天正10年(1582年)に信直は三戸南部氏26代を継承して三戸城に移るが、その後も別館として使用された。
1984年(昭和59年)3月6日に田子町指定史跡。
田子館(佐々木館)
『慶長御支配帳』には「田子館 二百石 笹木惣左衛門」とある。佐々木(笹木)氏の館は当初、現在の田子中学校の地点にあったが、同地を南部信時に譲り(田子前館)、西側の隣接地に新たに館を建てたと伝わる。
1984年(昭和59年)3月6日に田子町指定史跡。
参考文献
- 【書籍】「日本城郭大系 第2巻 青森・岩手・秋田」
- 【書籍】「日本歴史地名大系 第2巻 青森県の地名」
- 【書籍】「角川日本地名大辞典 2 青森県」