名称(よみ) | 高安寺城(こうあんじじょう) |
通称・別名 | 高安寺館、高安寺塁 |
所在地 | 東京都府中市片町2-4-1 |
天気情報 |
11/24(日) 降水確率:30% |
地図 | マップ/周辺の城/NaviCon |
問い合わせ | 府中市政策総務部広報課[電話] |
分類・構造 | 平城 |
築城主 | 不明 |
築城年 | 不明 |
主な城主 | 新田義貞、鎌倉公方 |
遺構 | 消滅 |
指定文化財 | 都選定歴史的建造物 |
2024/10/01 00:07 マグロ常陸介祐平
高安寺城:こちらのサイトの説明はあっさりしていますが、なかなかの経歴を持つお寺(城郭)です。平安時代中期に武蔵守となった藤原秀郷が国府そばのこの地に居館を構えたとされ、墓地の奥には秀郷稲荷が祀られています。その後は見性寺というお寺になり、平安時代末期になると源義経と弁慶がこの地でたびたび過ごして、弁慶は大般若経を写経しています。ゆかりの井戸として秀郷稲荷を下った所に「弁慶硯の井戸」が残ります。南北朝時代には、分倍河原の合戦で新田義貞が陣を構えています。室町時代には、足利尊氏が安国寺の一つとして見性寺を「龍門山高安護国禅寺」と寺名を改め足利氏の軍事拠点としての性格を持つようになります。永徳元年には小山義政...
2024/06/03 22:01 国府参議城介
府中御殿(武蔵国司館):徳川家康が関東移封直後に築いた最初期の御殿【歴史】天正18年(1590)に、徳川家康が関東に移封直後に造営した御殿。徳川家康が奥州仕置きに向かった豊臣秀吉を接待するために造営したと云われていますが、近年では秀吉本人が造営したという説もあります。江戸幕府が開かれると、家康が鷹狩をするために滞在するための施設となり、秀忠、家光と三代にわたり利用されましたが、正保3年(1646)の府中大火で焼失し、再建されることはなかった。また、元和3年(1617)には、家康の柩が久能山から日光へ遷された際には、3月21日から翌日にかけて逗留して、法要が行われた。なお、この地は7世紀後半から8世紀前半(飛鳥時代から...
来月度の城主争い戦況
1位 たかとも関白さん 195回
2位 どらぽんさん 158回
3位 高杉 大宰大弐 春風さん 129回
武蔵国府跡(遺構・復元物)
分倍河原古戦場跡の碑(碑・説明板)
鎌倉街道上ノ道・元応の板碑(碑・説明板)
源義家の銅像(碑・説明板)
江戸城外郭の石積(碑・説明板)
武蔵国府(周辺城郭)
府中御殿(武蔵国司館)(周辺城郭)
武蔵国分尼寺跡(寺社・史跡)
武蔵国分寺跡(寺社・史跡)
武蔵府中熊野神社古墳(寺社・史跡)
弁慶硯の井戸(寺社・史跡)
秀郷稲荷堂(寺社・史跡)
新田義貞公之像(その他)
伝・鎌倉街道上ノ道(その他)
攻略数:城 家臣団:人 |
異名:個 官位:個 |
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