| 名称(よみ) | 桐生城(きりゅうじょう) |
| 通称・別名 | 柄杓山城、桧杓山城、桐生桧杓山城 |
| 所在地 | 群馬県桐生市梅田町1-1282他 |
| 天気情報 |
03/02(月) 降水確率:40% |
| 地図 | マップ/周辺の城/NaviCon |
| 問い合わせ | 桐生市教育委員会管理部文化財保護課[電話] |
| 分類・構造 | 山城 |
| 築城主 | 桐生国綱 |
| 築城年 | 正平5年〔南朝〕/観応元年〔北朝〕(1350) |
| 主な城主 | 桐生氏、横瀬氏、由良氏 |
| 廃城年 |
天正18年(1590) |
| 遺構 | 曲輪、土塁、横堀(空堀)、馬出、堀切 |
| 指定文化財 | 市史跡(桐生桧杓山城址) |
| 再建建造物 | 石碑、説明板 |
2026/02/20 20:52 マグロ常陸介祐平
仁田山城:平安時代後期にこの地を領有した山田七郎平吉之の子孫により南北朝時代に築かれ、観応2年(1351年)山田筑後守則之の時に桐生国綱により滅ぼされたとされます。その後この地は将軍足利義政より二階堂行旨に与えられ、家臣の里見(仁田山)蔵人家連が守ったとも、里見義連の子の氏連が桐生国綱の娘を娶り仁田山城を任されたともされるようです。天文24年?、上杉謙信により仁田山城は落城したとされています。仁田山城については、複数の軍記物に表れていますが、内容は統一されていません。県道駒形大間々線を少し入った石尊山登山口が、入城口となります。入ってすぐに削平地がありますが、麓の居館の一部のようです。削平地の手前から登...
2025/03/25 22:11 マグロ常陸介祐平
桐生城:佐野氏一族の桐生国綱(後桐生氏)が観応元年(1350年)に築いたとされ、元亀3年(1572年)親綱は金山城の由良氏に攻められ城は落城、天正2年(1574年)には国繁に家督を譲った成繁の隠居城となり、成繁はそのまま桐生で亡くなっています。小田原の役後に由良氏が牛久に移されると桐生城は廃城となっています。(前桐生氏については、先人様が皆沢八幡宮で口コミされています。)一般的に城主は桐生氏といわれていますが、菩提寺である西方寺の阿弥陀如来像の墨書きには「佐野大炊助助綱」とあり、足利持氏、政氏、晴氏らの発給の文書にも名字を桐生ではなく佐野としていることから、当時は自他共に佐野氏と認識されていたものと思...
来月度の城主争い戦況
1位 tosono 大炊頭さん 8回
2位 小原大蔵大輔優太さん 8回
3位 かぐら右近衛少将さん 6回
| 攻略数:城 家臣団:人 |
異名:個 官位:個 |
|
| ユーザー名タップで詳細表示 | 報告 | |