名称(よみ) | 桐生城(きりゅうじょう) |
通称・別名 | 柄杓山城、桧杓山城、桐生桧杓山城 |
所在地 | 群馬県桐生市梅田町1-1282他 |
天気情報 |
04/02(水) 降水確率:50% |
地図 | マップ/周辺の城/NaviCon |
問い合わせ | 桐生市教育委員会管理部文化財保護課[電話] |
分類・構造 | 山城 |
築城主 | 桐生国綱 |
築城年 | 正平5年〔南朝〕/観応元年〔北朝〕(1350) |
主な城主 | 桐生氏、横瀬氏、由良氏 |
廃城年 |
天正18年(1590) |
遺構 | 曲輪、土塁、横堀(空堀)、馬出、堀切 |
指定文化財 | 市史跡(桐生桧杓山城址) |
再建建造物 | 石碑、説明板 |
2025/03/25 22:11 マグロ常陸介祐平
桐生城:佐野氏一族の桐生国綱(後桐生氏)が観応元年(1350年)に築いたとされ、元亀3年(1572年)親綱は金山城の由良氏に攻められ城は落城、天正2年(1574年)には国繁に家督を譲った成繁の隠居城となり、成繁はそのまま桐生で亡くなっています。小田原の役後に由良氏が牛久に移されると桐生城は廃城となっています。(前桐生氏については、先人様が皆沢八幡宮で口コミされています。)一般的に城主は桐生氏といわれていますが、菩提寺である西方寺の阿弥陀如来像の墨書きには「佐野大炊助助綱」とあり、足利持氏、政氏、晴氏らの発給の文書にも名字を桐生ではなく佐野としていることから、当時は自他共に佐野氏と認識されていたものと思...
2025/02/04 19:50 愛甲左京大夫【相模の狂人】
叶花山城(仮):小俣城から川を挟んで反対側、少し北にそびえる石尊山(栃木百名山第98座)から西に伸びる尾根の末端近くに構える山城ですが、それらしい城が見つかっていながら30年近く放置され、2019年にそれらしい城が再発見されたとのことですが、再発見が確認されたとの情報が無いので、ここでは(仮)としました。(アプローチ)石尊山には相州大山の写し霊場として勧請された阿夫利神社があって、しっかりした登山道があります。最初はなだらかな歩きやすい道ですが、途中には部分的に急斜面を直登するようなところも現れます。それでも比高にして200mも登ると尾根に登り詰めます。道は右に折れて東へ向かって登っていきますが、城は反対の左...
来月度の城主争い戦況
1位 かぐらさん 14回
2位 tosono 木工助さん 13回
3位 のぼうさん 8回
攻略数:城 家臣団:人 |
異名:個 官位:個 |
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