額田城(ぬかだじょう)

額田城 投稿者:国府左京大夫城介さん

城郭基本情報

名称(よみ) 額田城(ぬかだじょう)
通称・別名 (額田陣屋)
所在地 茨城県那珂市額田南郷103他
天気情報

05/11(土) 降水確率:0%
26℃[+2]13℃[+5] 詳細

地図 マップ周辺の城NaviConYahoo!カーナビ
問い合わせ 那珂市歴史民俗資料館[電話
分類・構造 平山城
築城主 額田(佐竹)義直
築城年 建長年間(1249〜1256)
主な城主 額田氏、小野崎氏(佐竹氏家臣)
遺構 曲輪、土塁、横堀(空堀)
指定文化財 市史跡(額田城跡)
再建建造物 説明板
額田城(ぬかだじょう)は、茨城県那珂市額田南郷にある平山城

遺構 

久慈川南岸、谷地が入り込んだ那珂台地南側の縁辺部に築かれている。南北約800m×東西1200mと、面積は県北地方最大規模だ。

蛇行する堀と土塁が本丸、二の丸、三の丸を囲み、横矢掛かりなど外敵を阻むしかけが随所に見られる。西側にある阿弥陀寺の郭を含めた内郭を取り囲むように、外側には広大な外郭が設けられていた。

外郭は宅地化により土塁が一部残るのみだが、内郭は大小さまざまな空堀をはじめ、よく残る。とくに、本丸と二の丸を隔てる空堀は幅12m、高さ9mもあり圧巻だ。

歴史 

建長年間(1249~1256)頃、清和源氏の名門、佐竹氏5代当主義重の次男である佐竹義直が分家して額田城を築き、額田氏を名乗ったとされる。

以後、佐竹額田氏は10代義亮まで約170年間続いたが、室町時代中期に佐竹惣領家と佐竹庶家筆頭の山入氏との内乱が激化。約100年間に及ぶお家騒動となり、義亮は山入氏側について佐竹惣領家に対抗した。応永23年(1416)以降は、関東公方足利持氏と上杉禅秀との対立の中で上杉禅秀に与し、佐竹惣領家の12代義人及び足利持氏との攻防へと展開。やがて応永30年(1423)3月に額田城は陥落し、佐竹額田氏は滅亡した。

その後は、義人の家臣である小野崎氏が額田城主となり、江戸氏から養子を迎えるなどして7代額田(小野崎)照通まで続いた。

天正18年(1590)の豊臣秀吉による小田原攻め後は、秀吉政権下に入った佐竹義宣の領国統一が進み、その一環として額田城も攻撃を受けた。額田城は守りが堅く落ちなかったため、義宣は石田三成を通して降伏を勧告。しかし照通がこれを拒否したため、天正19年(1591)2月23日に総攻撃を受け、激戦の末に落城した。照通は伊達政宗の元に逃れ、額田氏は最終的に水戸藩に仕官して600石を与えられた。

交通 

・JR水郡線額田駅から徒歩30分
・常磐自動車道那珂ICから車で約16分

参考文献 

・『関東の名城を歩く北関東編』吉川弘文館、2011年
・『図説 茨城の城郭』茨城城郭研究会、2006年
・『図説中世城郭辞典』第一巻 藤井尚夫「額田城」新人物往来社、1987年

文:萩原さちこ



城郭口コミ


2024/04/15 05:46大膳亮じゃけえ
額田城:阿弥陀寺に駐車、案内板に従って歩けばすぐ着きます。林のなかを散策しましたが、小鳥のさえずりが聞こえ、のんびり散策できました。二の丸の桜は綺麗でした。

2023/12/21 18:57弾正少弼しろし
額田城:なかなか広大な曲輪です。近年の保存会の方々の手入れでまた見やすくなってました。

城郭攻略情報


2024/01/10 15:02
のほほん左近衛少将
JR常磐線上り方面東海駅にて2城同時に攻略です🚃
2023/07/26 08:24
あざらし肥前守
公共交通:一例常磐自動車道・高速バス乗車中、JR常磐線乗車中。(❜18・5攻略)
2023/01/13 16:36
cookey式部卿
上菅谷駅
2020/12/21 16:52
副将軍こうちゃん播守
JR水郡線「瓜連」→「常陸鴻巣」駅間で攻略!
2019/01/10 21:27
下総守藤次郎
水郡線:上菅谷駅にて二城同時攻略!

城主争い

来月度の城主争い戦況

 1位 こにみんさん 68

 2位 みどどんさん 55

 3位 弓引き辻さん 54

額田城の周辺スポット情報

 (遺構・復元物)

 説明板(碑・説明板)

 説明板(碑・説明板)

 阿弥陀寺(寺社・史跡)

 駐車場(駐車場)

 駐車場(駐車場)

 額田城入口(その他)

 

to_top
気に入った!しました