武熊城(たけくまじょう)

武熊城 投稿者:いえろーまん左京大夫さん

城郭基本情報

名称(よみ) 武熊城(たけくまじょう)
通称・別名 武熊館、武熊故城
所在地 茨城県水戸市柳町2
天気情報

11/22(金) 降水確率:20%
19℃[+5]5℃[-3] 詳細

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分類・構造 平城
築城主 石河望幹
築城年 延文年間(1356〜1361)
主な城主 石河氏、江戸氏、東義久
廃城年 慶長7年(1602)
遺構 消滅
再建建造物 石碑
武熊城(たけくまじょう)は、茨城県水戸市柳町にあった日本の城。

概要 

武熊城は、桜川右岸の標高約7mの沖積低地に位置する。往時は台地が存在し、台地全体が城館であった。慶安4年(1651)、千波沼新道(柳堤)築堤の土に利用するため削平され、現在は平地となり遺構は存在しない。しかし東台という地名が往時ここに城館があったことを示している。

構造 

『新編常陸国誌』によれば規模は南北4町余(約440m)、東西5町余(約550m)で、南側(横竹隈町)が大手、北側(十間町)が搦手であったという。現在でも搦手橋などの地名が残っている。右図は『国誌』、近世の町割、旧桜川の流路等をもとに推定した城域である。水戸城本丸・二の丸に匹敵する平面規模(4町×5町)であり、水戸城(0396)直近の東の出城として重要な位置を占めていたことは間違いない。

歴史 

武熊城は中世初頭、水戸城主・大掾資幹の弟の石川望幹が築城したとされる。応永13年(1406)、江戸通房が水戸に進出したのに伴い、城は江戸氏の属城となり、通房の弟通重が入って武熊氏を名乗った。永禄元年(1558)に佐竹義宣が水戸城を居城にして以後は、重臣・東義久の居城となったという。

参考文献 

『茨城県の中世城館』

情報提供:水戸市教育委員会



城郭口コミ


2021/03/16 07:36隼人佑かわちゃん
武熊城:城郭としては跡形もなく水戸竹隈市民センターの角に石碑が建ってるだけでした

2015/05/31 06:37武蔵守道灌?!
武熊城:今は竹隈市民センターになっているようです。(°▽°)

城郭攻略情報


2023/12/19 10:07
九曜紋東市正
鹿島神宮駅から水戸駅へ移動中、東水戸駅と水戸駅間の県道351号と交差する辺りで、吉田城と伴に攻略。
2023/07/25 18:20
あざらし肥前守
水戸市城南、桜川付近宿泊で。(❜18・5攻略)
2023/06/25 12:38
常陸介はるか
千波公園にて攻略。(近代美術館寄り湖畔)
2023/01/13 16:05
cookey式部卿
水戸駅
2020/12/21 18:03
琉球守風のこうちゃん播守
JR水郡線「常陸青柳」→「水戸」駅間で攻略!

城主争い

来月度の城主争い戦況

 1位 ねこ⭐︎みーやん左近衛中将さん 187

 2位 こりらりら日高守2世さん 180

 3位 工藤能登守さん 123

武熊城の周辺スポット情報

 城趾碑(碑・説明板)

 

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