| 名称(よみ) | 塩原城(しおばらじょう) |
| 通称・別名 | 塩原要害城、要害城 |
| 所在地 | 栃木県那須塩原市上塩原1002 |
| 問い合わせ | 那須塩原市教育部生涯学習課文化振興係[電話] |
| 天気情報 |
07/17(金) 降水確率:70% |
| 地図 | マップ/周辺の城/NaviCon |
| 分類・構造 | 平山城 |
| 築城主 | 塩原家忠 |
| 築城年 | 保元元年(1156)頃 |
| 主な改修者 | 塩原越前守 |
| 主な城主 | 塩原氏、小山氏 |
| 廃城年 |
慶長2年(1597) |
| 遺構 | 曲輪、土塁、横堀(空堀) |
| 指定文化財 | 市史跡(塩原(要害)城跡) |
| 再建建造物 | 説明板 |
2026/07/14 13:10 壬生オフ会岩代守智ぞう
鶴ヶ渕城:鶴が渕城址は、戦国時代の山城跡である。城は男鹿川左岸の姥捨山(896メートル)山頂にある曲輪(くるわ)と物見台、男鹿川右岸から田代山(たしろやま)に続く長塁と、男鹿川渕の角馬出(かどうまだし)の3つの部分から構成されている。現存する鶴が渕城址は、最初に築城した長沼氏当時のものとは考えにくく、上杉景勝によって慶長5年(1600)に拡張整備されたものと考えられる。擂鉢状曲輪など上杉流が見られ、川を塞き止めて街道に水を湛え、石弓を設け、さらに藤原・高徳辺りまで先兵を出し、陽動作戦を展開した事が上杉文書に見られるからである。これに対し、家康の会津攻めは関が原合戦と重なって実際の進攻はなかったのである。...
2021/02/03 18:54
鶴ヶ渕城:鶴ヶ渕城は1600年の徳川家康の上杉征伐の際に上杉景勝側が徳川家康の来襲に備え要塞化した長塁と、道路を挟んで向かいの姥捨山の上に砦をきづいた。姥捨山は藪が凄くて確認出来なかったが、鶴ヶ渕城のほうには、今でも角馬だしと掘と土塁が確認出来る。121号線ぞいのやってない食堂?を目印に橋を渡るとあります
来月度の城主争い戦況
1位 Bゆちこさん 13回
2位 【會】山本三十六さん 11回
3位 天下刑部大輔直柔さん 9回
| 攻略数:城 家臣団:人 |
異名:個 官位:個 |
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