潮見城(しおみじょう)

潮見城の基本情報

通称・別名

所在地

佐賀県武雄市武雄町大字永島字潮見

旧国名

肥前国

分類・構造

山城

天守構造

築城主

橘公業

築城年

嘉禎3年(1237)

主な改修者

主な城主

橘氏、後藤氏、渋江氏

廃城年

遺構

曲輪、石積、土塁、横堀(空堀)

指定文化財

再建造物

周辺の城

おつぼ山神籠石(佐賀県武雄市)[1.3km]
塚崎城(佐賀県武雄市)[3.1km]
須古城(佐賀県杵島郡)[5.7km]
常広城(佐賀県鹿島市)[8.0km]
鹿島城(佐賀県鹿島市)[8.9km]
蟻尾城(佐賀県鹿島市)[9.6km]
梶峰城(佐賀県多久市)[10.0km]
湯野田城(佐賀県嬉野市)[10.4km]
住吉城(佐賀県武雄市)[12.4km]
佐留志城(佐賀県杵島郡)[13.4km]

潮見城の口コミ情報

2024年03月09日 龍馬備中守【感謝】
宮ノ元城塞[潮見城  周辺城郭]



佐賀県嬉野市にある【宮ノ元城塞】♪塩吹城とは東側の尾根線上で繋がります♪ピークは227mの山上が主郭となります♪
眼下には長崎街道と塩田川♪
東麓には塩田宿と武雄、鹿島、伊万里、波佐見へ抜ける交通の要衝地になっています♪

宮ノ元城塞は、築城、城主共に不明の城郭ですが、主郭を中心に比高差を変え(標高200m付近)3つの郭で構成されています♪削平は割と甘めではありますが、城域の東端は岩との間に堀切兼動線状の地形が残ります♪

鎌倉期には仁和寺領として藤津荘内で管理されていました♪その後の弘安の役で功績を立てた大村家信が藤津荘の地頭となり、この地方を治めています♪室町時代から戦国時代にかけて、この地は塚崎後藤氏と島原有馬氏の抗争の地となっています♪
因みに尾根続きで繋がる塩吹城は、この頃の城郭でしょうが、不明な点が多いです☆そして、ココ宮ノ元城塞も同様に不明です☆

永禄7年(1564年)有馬氏の塩田攻めから天正年間頃まで、この地は有馬領となっています♪そんな中、佐嘉で着実に力を蓄えていた佐嘉・龍造寺隆信が須古城の戦いで有馬家臣・平井氏を下します☆

コレにて東肥前を制した2年後の天正4年(1576年)龍造寺隆信は大軍で藤津へ攻め込み、鹿島の横造城で有馬軍VS龍造寺軍で抗争しています☆結果、龍造寺軍は勝利☆
以後、龍造寺家臣・鍋島信房率いる(直茂の兄弟)『藤津衆』を率いて犬塚氏、嬉野氏、原氏、辻氏、久間氏、永田氏、吉田氏など地元の豪族と共に、龍造寺軍団としてこの地を守備しています♪この直後より龍造寺方の領するエリアになっています♪各武将が入り乱れる♪そんな場所なのです♪

宮ノ元城塞は何の為に塩吹城と同尾根上に城郭を築いたのか?塩吹城との関係性は?時代感が違うのか?分かりません☆多くの武将が入り込んでいた可能性があるという事しか分かりません♪

塚崎後藤氏の家臣・久間衆(永田氏、久間氏、辻氏、志田氏) が造り込んだ?ハタマタ、塩吹城主であり有馬氏の家臣・原監物直勝の塩吹城の詰め城か?真相は分かりません☆個人的には、塩吹城の詰め城じゃないかな〜?と思いますが♪

同山内の北側には鬼楤城も点在します♪因みにこの鬼楤城は、塚崎後藤氏の家臣・久間氏の久間城?なんじゃないか?と言う説もあります☆※久間城の正確な場所は現在も不明なのです☆同じ山の中に敵対する勢力がいたと云うのも、ハテナな話ですが…?鬼楤城は行けていないので、またタイミングを見て行ってみようと思います♪

因みに、この塩田エリアは近世には蓮池藩領の飛地になっていて、頭人役所が設置されています♪長崎街道は陸上交通、更には塩田川は海上交通と、交通網はより発展し、塩田宿が築かれています♪江戸時代の後期になると、塩田川の水害から長崎街道は塚崎経由となり、有明海沿岸に接しては、佐賀から竜王峠を通る街道が開発されると、塩田を通る街道の利用が減少して行きました☆
長崎街道が麓を走る宮ノ元城塞の麓には字名、馬場下が残ります♪コレは、この地にある丹生神社の神官家として、馬場氏の名前があり、コレに由来するものだと考えられています♪

2024年03月03日 龍馬備中守【感謝】
塩吹城[潮見城  周辺城郭]



佐賀県嬉野市にある【塩吹城】♪別名を塩田城とも呼ぶ中世の山城です♪
塩吹集落の北背後の山上、標高159mのピークが城郭となります♪東西に長く伸びた尾根上に城郭は存在します♪縦走すると宮ノ元城塞に辿り着きます♪眼下には塩田川が流れ、長崎街道が走る場所で、麓には字名、馬場が残ります♪東側の麓は長崎街道塩田宿で、塩田宿から更に東側は肥前鹿島の平野部が広がり、北側は武雄の塚崎後藤氏の所領へ結ぶ、正に交通の要衝地となっています♪更に山間を縫う様に南西に向かえば波佐見、北西に向かえば伊万里へと続きます♪

築城年は不明ではありますが、中世、この藤津エリアは有馬氏の所領となっています♪有馬氏の防衛の一環として原監物直勝を塩吹城に居城させています♪

但し、近隣には塚崎後藤氏に属した久間衆(永田氏、久間氏、辻氏、志田氏)の城郭が幾つかあり、久間衆の城郭❓との声もあります☆

塚崎城主・後藤貴明は、大村純前の子です♪有馬晴純の子である純忠に大村氏の家督を奪われた為に、塚崎後藤氏に養子に入りました☆大村純忠の領地に侵攻しては、大村氏と争ったのが、塚崎後藤氏です。後藤貴明も大村純前の子であり、大村一族なのですが…一方有馬氏も大村氏とは同族であり、こちらは良好な同盟関係にありました☆本来ならば、後藤貴明も一族ですから、良好な関係を築くことも出来たハズですが…後藤貴明からしたら、大村氏に家督を奪われたと一触即発状態です☆

塚崎後藤氏は、有馬氏や大村氏との抗争の中、やがて危機が迫ると、佐嘉の龍造寺隆信に接近し、その3男の家信を養子に迎えて龍造寺隆信に仕えました♪これによって塚崎後藤氏は龍造寺氏の一門になっています♪
その後、後藤家信は龍造寺氏が衰退すると鍋島直茂に仕えました♪江戸時代には塚崎後藤氏は佐賀藩主の鍋島家の家老となり、元禄11年(1699年)に当時の当主・茂綱が鍋島直茂の養妹を室に迎えた事で以降、親類同格となり鍋島姓を許されています♪

塩吹城もまた、戦国時代の動乱に巻き込まれてしまいます☆有馬氏・大村氏VS塚崎後藤氏の間で、取った取られたのバチバチの歴史があったのかもしれません。後藤氏を支えた久間衆である、永田氏、久間氏、辻氏、志田氏が生きた集落、城館群が近隣に地名として残っています♪

城郭は単郭式山城として主郭、一段下に郭が取り巻きます♪円形の郭がある程度で、砦といった顔をしています♪主郭の一段下には竪堀状の窪地が斜面に沿い2条あり、北向き武雄側に防御♪有馬方の原氏の造りか?石がゴロゴロと見られ、石積みを使用したのかもしれません♪更に南東側には尾根を遮断する堀切♪西斜面より、スロープ状に尾根を行くと鞍部になっており郭状の削平地がありました♪ここまでが、塩吹城か?大手側は塩吹集落側に設けたと思われますが、冬のこの時期ですら藪藪になっています♪

2023年05月14日 気分爽快信濃守
潮見城



車を潮見神社の中宮に停めて登城して来ました。斜面を暫く登ると、城域を2分する大きな二重堀切があらわれます。地図情報から、この下を長崎自動車道が通っているようです。

堀切の南にある郭には中央に土壇があり、その北側は大きな2つの岩がありました。更に南に進むと細い平坦な郭があり、途中に側面に石積みのある土塁があったりして、最後は2つの堀切を確認して引き返しました。堀切の北には2つの郭があり、部分的に周りが土塁で囲まれていました。北の端は畝堀、堀切で複雑な地形となっています。

①登り始めて直ぐの竪堀
②土壇を北側から
③土壇を南側から
④南尾根の最初の堀切
⑤南尾根の2つ目の堀切
⑥竪堀に繋がる二重堀切
⑦北端の郭の土塁
⑧畝堀、横堀からなる複雑な地形

2021年06月18日 龍馬備中守【感謝】
潮見城



佐賀県の武雄市にある【潮見城】♪山間部の西側に長大な横堀を持つ戦国の山城になります☆
歴史詳細が無い為リア攻め口コミに入れますね♪

山麓にある塩見神社を居館とし有事の際は塩見山に籠って戦うという何とも山城の教科書の様な素晴らしい城郭になっています☆

塩見古墳も山間部にはあり古くから人が生活していた事が判ります☆

橘薩摩渋江氏によって築かれたと伝わります♪鎌倉時代に橘公業が予州伊予から肥前国長島荘に移ったのが橘薩摩家の始まりとされていて後に渋江氏を称しました☆この時に『長島荘に移りて塩見山に城郭を構へて居住しけり』とあり、この時に母体程度ではあるかも知れないが築城されたのでは無いか?と推測します☆

この橘薩摩氏・3代目城主の薩摩左衛門公村が本家を『渋江』に改めていて牛島・中村・中橘の3分家を設けました☆

南北朝時代には足利氏に属して菊池氏と戦いました♪同時代に今川了俊入道に攻められ落城☆更に九州探題の渋川満頼に攻められていて降伏しています☆
更に更に分家した牛島氏との争いもあったりと中々戦闘を行っています☆
13代目の渋江公勢の時に本城を日鼓城に移して潮見城を支城としますが、渋江公勢の没後は武雄では後藤氏が勢力を持ち渋江氏は塩見城に戻されています☆
14代目・渋江公親の時に後藤純明に本領を奪われます☆
15代目・渋江公明の時に有馬氏に攻められて落城☆渋江公明は城を脱出☆していて事なきをえました♪
有馬氏の撤退後は後藤氏の支城として利用されていて、今ありし城郭遺構は有馬氏、後藤氏、両者の改修によるものだと思われます☆
後藤氏は後に龍造寺氏の家臣になる為この辺りの改修、拡大が1番怪しいです☆
バチバチだった城郭なだけに遺構は鮮明に残ります☆
見所は畝状竪堀群に主要部と副部を切断する堀切で2つの峰を使い城郭を造り込んでいます☆素晴らしい城郭です♪肥前国の山城としてオススメの1城になります♪

2016年10月31日 カーネル
潮見城

潮見城の情報のHPが見当たらなかったので、潮見山登山のHPを参考にしたところ、潮見神社の左脇から登れとのこと

私は上宮の左脇から、藪をかき分け竪堀の根底のような道を、登ったのですが傾斜がキツすぎておかしいと思い引き返す

上宮から北に舗装路を行くと中宮があり、ここの左脇から登れます。看板もあります

古墳を越えると登山道になり、直登ですが、傾斜角は許せる範囲

鞍部手前で右に逃げる道があり、尾根を回り込むと二重堀があります。堀を越えて尾根を北に進むと、堀があります。どちらも大きくて迫力あります

さらに進むと南北に細長い主郭で、一番奥には、浅いですが立派な土塁がありました
行ってよかったです

そのHPによれば、南の峰は荒れ放題とのことなので、行きませんでした

中宮からの往復だけなら1時間かからないくらいです

潮見城の周辺スポット情報

 塩吹城(周辺城郭)

 宮ノ元城塞(周辺城郭)

「ニッポン城めぐり」を始めるには?

「ニッポン城めぐり」は、iPhone・androidの両アプリに対応。
利用料金は無料、アプリ内の課金も一切ナシ!いますぐ城めぐりを始めてみよう!

スマートフォンからのアクセス方法

app store app store  ■iPhone
 AppStore で「ニッポン城めぐり」を検索。

google play ■Android
 Google play で「ニッポン城めぐり」を検索。

スマホを持って城をめぐろう!スマホでお城スタンプラリーゲーム「ニッポン城めぐり」 ニッポン城めぐりとは? GooglePlay Appstore