塩吹城

塩吹城([潮見城  周辺城郭])

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塩吹城の口コミ情報

2024年03月03日 龍馬備中守【】


佐賀県嬉野市にある【塩吹城】♪別名を塩田城とも呼ぶ中世の山城です♪
塩吹集落の北背後の山上、標高159mのピークが城郭となります♪東西に長く伸びた尾根上に城郭は存在します♪縦走すると宮ノ元城塞に辿り着きます♪眼下には塩田川が流れ、長崎街道が走る場所で、麓には字名、馬場が残ります♪東側の麓は長崎街道塩田宿で、塩田宿から更に東側は肥前鹿島の平野部が広がり、北側は武雄の塚崎後藤氏の所領へ結ぶ、正に交通の要衝地となっています♪更に山間を縫う様に南西に向かえば波佐見、北西に向かえば伊万里へと続きます♪

築城年は不明ではありますが、中世、この藤津エリアは有馬氏の所領となっています♪有馬氏の防衛の一環として原監物直勝を塩吹城に居城させています♪

但し、近隣には塚崎後藤氏に属した久間衆(永田氏、久間氏、辻氏、志田氏)の城郭が幾つかあり、久間衆の城郭❓との声もあります☆

塚崎城主・後藤貴明は、大村純前の子です♪有馬晴純の子である純忠に大村氏の家督を奪われた為に、塚崎後藤氏に養子に入りました☆大村純忠の領地に侵攻しては、大村氏と争ったのが、塚崎後藤氏です。後藤貴明も大村純前の子であり、大村一族なのですが…一方有馬氏も大村氏とは同族であり、こちらは良好な同盟関係にありました☆本来ならば、後藤貴明も一族ですから、良好な関係を築くことも出来たハズですが…後藤貴明からしたら、大村氏に家督を奪われたと一触即発状態です☆

塚崎後藤氏は、有馬氏や大村氏との抗争の中、やがて危機が迫ると、佐嘉の龍造寺隆信に接近し、その3男の家信を養子に迎えて龍造寺隆信に仕えました♪これによって塚崎後藤氏は龍造寺氏の一門になっています♪
その後、後藤家信は龍造寺氏が衰退すると鍋島直茂に仕えました♪江戸時代には塚崎後藤氏は佐賀藩主の鍋島家の家老となり、元禄11年(1699年)に当時の当主・茂綱が鍋島直茂の養妹を室に迎えた事で以降、親類同格となり鍋島姓を許されています♪

塩吹城もまた、戦国時代の動乱に巻き込まれてしまいます☆有馬氏・大村氏VS塚崎後藤氏の間で、取った取られたのバチバチの歴史があったのかもしれません。後藤氏を支えた久間衆である、永田氏、久間氏、辻氏、志田氏が生きた集落、城館群が近隣に地名として残っています♪

城郭は単郭式山城として主郭、一段下に郭が取り巻きます♪円形の郭がある程度で、砦といった顔をしています♪主郭の一段下には竪堀状の窪地が斜面に沿い2条あり、北向き武雄側に防御♪有馬方の原氏の造りか?石がゴロゴロと見られ、石積みを使用したのかもしれません♪更に南東側には尾根を遮断する堀切♪西斜面より、スロープ状に尾根を行くと鞍部になっており郭状の削平地がありました♪ここまでが、塩吹城か?大手側は塩吹集落側に設けたと思われますが、冬のこの時期ですら藪藪になっています♪

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