宮ノ元城塞

宮ノ元城塞([潮見城  周辺城郭])

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宮ノ元城塞の口コミ情報

2024年03月09日 龍馬備中守【】


佐賀県嬉野市にある【宮ノ元城塞】♪塩吹城とは東側の尾根線上で繋がります♪ピークは227mの山上が主郭となります♪
眼下には長崎街道と塩田川♪
東麓には塩田宿と武雄、鹿島、伊万里、波佐見へ抜ける交通の要衝地になっています♪

宮ノ元城塞は、築城、城主共に不明の城郭ですが、主郭を中心に比高差を変え(標高200m付近)3つの郭で構成されています♪削平は割と甘めではありますが、城域の東端は岩との間に堀切兼動線状の地形が残ります♪

鎌倉期には仁和寺領として藤津荘内で管理されていました♪その後の弘安の役で功績を立てた大村家信が藤津荘の地頭となり、この地方を治めています♪室町時代から戦国時代にかけて、この地は塚崎後藤氏と島原有馬氏の抗争の地となっています♪
因みに尾根続きで繋がる塩吹城は、この頃の城郭でしょうが、不明な点が多いです☆そして、ココ宮ノ元城塞も同様に不明です☆

永禄7年(1564年)有馬氏の塩田攻めから天正年間頃まで、この地は有馬領となっています♪そんな中、佐嘉で着実に力を蓄えていた佐嘉・龍造寺隆信が須古城の戦いで有馬家臣・平井氏を下します☆

コレにて東肥前を制した2年後の天正4年(1576年)龍造寺隆信は大軍で藤津へ攻め込み、鹿島の横造城で有馬軍VS龍造寺軍で抗争しています☆結果、龍造寺軍は勝利☆
以後、龍造寺家臣・鍋島信房率いる(直茂の兄弟)『藤津衆』を率いて犬塚氏、嬉野氏、原氏、辻氏、久間氏、永田氏、吉田氏など地元の豪族と共に、龍造寺軍団としてこの地を守備しています♪この直後より龍造寺方の領するエリアになっています♪各武将が入り乱れる♪そんな場所なのです♪

宮ノ元城塞は何の為に塩吹城と同尾根上に城郭を築いたのか?塩吹城との関係性は?時代感が違うのか?分かりません☆多くの武将が入り込んでいた可能性があるという事しか分かりません♪

塚崎後藤氏の家臣・久間衆(永田氏、久間氏、辻氏、志田氏) が造り込んだ?ハタマタ、塩吹城主であり有馬氏の家臣・原監物直勝の塩吹城の詰め城か?真相は分かりません☆個人的には、塩吹城の詰め城じゃないかな〜?と思いますが♪

同山内の北側には鬼楤城も点在します♪因みにこの鬼楤城は、塚崎後藤氏の家臣・久間氏の久間城?なんじゃないか?と言う説もあります☆※久間城の正確な場所は現在も不明なのです☆同じ山の中に敵対する勢力がいたと云うのも、ハテナな話ですが…?鬼楤城は行けていないので、またタイミングを見て行ってみようと思います♪

因みに、この塩田エリアは近世には蓮池藩領の飛地になっていて、頭人役所が設置されています♪長崎街道は陸上交通、更には塩田川は海上交通と、交通網はより発展し、塩田宿が築かれています♪江戸時代の後期になると、塩田川の水害から長崎街道は塚崎経由となり、有明海沿岸に接しては、佐賀から竜王峠を通る街道が開発されると、塩田を通る街道の利用が減少して行きました☆
長崎街道が麓を走る宮ノ元城塞の麓には字名、馬場下が残ります♪コレは、この地にある丹生神社の神官家として、馬場氏の名前があり、コレに由来するものだと考えられています♪

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