五大老の中で真に豊臣思いだったのは?(2016/04/25)
現在の大坂城天守
豊臣秀吉の死後、豊臣政権の命運を託された五大老の大名たち。その中で、真に豊臣家のことを思っていたと感じる大名は?
[投票実施期間]2016年04月25日~2016年05月16日
1.豊臣家への謀反であるとして上杉征伐を名代として行った「徳川家康」。 |
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2.古くより苦楽をともにした秀吉から絶大な信頼を置かれた「前田利家」。 |
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3.織田信長の死後から一貫して豊臣氏に対して従順であった「毛利輝元」。 |
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4.毛利家の家臣でありながらも生前から秀吉に重用された「小早川隆景」。 |
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5.亡き秀吉への忠義に燃え関ヶ原の戦いでも粉骨砕身した「宇喜多秀家」。 |
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6.家康に野望ありとして石田三成らと連携して立ち上がった「上杉景勝」。 |
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「ニッポン城めぐり」利用者のコメント
高尾山武蔵守(2を選択)
生きているうちは豊臣政権お一番思っていた
黒田隠岐守如水(2を選択)
この中だと前田利家かな。
特に野心もなく従順だと感じる。
もん主税頭減量中(5を選択)
消去法でいくと、この人になりました(^^;)
百段上総介久太郎(5を選択)
西軍にあれだけの大軍勢を用意してきたし、関ヶ原では先陣として中央に布陣して福島隊を押し返す。なかなかできませんよ。個人的に秀家ですね〜。
カエズ常陸介ガリュキ(2を選択)
秀長の次に豊臣家を支えた人物。
土居式部大輔宗瑞(5を選択)
宇喜多家しかあり得ないでしょう、後は皆我が身大事に走ってるし!
銀英5ロイエンタール左近衛少将(2を選択)
二世大名のまとめ役として奔走した利家が没した時点で、家康に対抗出来る、力、経験を持った大名がいなくなり、家康ヤリホー確定を考えると、利家が一番豊臣家を慕っていたと思います
(=゚ω゚)ノ加賀守(2を選択)
説明不要で利家かと。
他は生き残るために仕方なくな感じ。
古楽侍従広家(5を選択)
身内だから…
誠之亮中務少輔(2を選択)
五人とも怪しいし(笑)諸説ありありますが、利家さんに一票!
志摩守すとんぴぃ(5を選択)
他の面々に比べると素直な忠誠を持っていそうなので
アンパンマン(2を選択)
宇喜多秀家はお坊っちゃま育ちで行動力が伴わなかった。想いだけでは仕方ないので前田利家が一番。長生きできなかったのが残念。
Nabeppu左馬頭(2を選択)
どう考えても、この人以外考えられないでしょう。他の人は屈服させらたり、時流上従ったり、野心があるでしょう。
鈴久播磨守雅元(2を選択)
利家の利長に残した遺言、利家死後の家康の行動を考えると利家でしょう。
松本弾正少弼龍伊(2を選択)
又佐は藤吉郎古くからの良き友であり理解者
下野守まはる(5を選択)
一番恩義を感じてそう。
ミハチマ甲斐守(2を選択)
ではないでしょうか❗
maria右京大夫(6を選択)
義といえば、上杉様でしょう!
奥州探題大崎侍従政宗(5を選択)
いつも二面外交する輝元には信が置けん
武州左兵衛督 憧れの天守閣(2を選択)
若い頃から夫婦共々苦労した。絆は大きい。
ドラガン尾張守店長(5を選択)
前田利家は秀吉の理解者であり、盟友であるが、豊臣家を思っていたとなると宇喜多秀家だと思います。
外様から一門衆にまで引き立てられた恩義は、実の父子よりも大きかったかもしれません。
聖戦士尾張守ヒロフミ【✤】(2を選択)
古い友人だし、もっと長生きしてたら、家康に勝手なことをさせなかったと思う。
音みく中務大輔闇サガン(2を選択)
徳川家康・毛利輝元・小早川隆景は捉え方次第だからなんとも言えない。上杉景勝・宇喜多秀家は多少なりとも忠誠心はあったと思う。前田利家は頭1つ抜け出てると感じます。
トムトム秋田城介(5を選択)
宇喜多以外はそれぞれの思惑があり、豊臣の為に動いたとは思えないので。
Chi-Chi蔵人頭(2を選択)
これしかないでしょ
ジョウ陸奥守(2を選択)
やっぱり利家でしょ!
居眠右京大夫狂四郎(2を選択)
前田利家でしょ。
しんぺー(5を選択)
個人的には宇喜多秀家。それと隆景は秀吉より先に亡くなっているので、後事を託されてないのでは?
ウツーノ越前守白起廉頗王翦(5を選択)
真に豊臣思いなら宇喜多秀家の一択。ほとんど身内やしね。
かめ〜右兵衛督(2を選択)
選択1とかありえないw
tradewind中務卿(2を選択)
豊臣想いというのを証明する事実が、反家康の活動ならば、上杉だろうけど、秀吉に寄り添って、死後も一度は、家康をおさえたのは、やはり利家だと思う。彼の死が、関ヶ原にむかったと考えます
明石則実右大臣【二つ雁金】(2を選択)
他の五大老と比べて、利害関係、損得勘定なしにあくまで一個人として秀吉に尽くそうとした態度にブレがないので。まさに盟友。
右衛門督kiyoshi(5を選択)
一門衆の扱いであり、幼少時から秀吉に可愛がられてた純粋な秀吉シンパ。宇喜多家というよりも、豊臣家の一員だと自身も考えていたのではないだろうか?
【三七郎】あきちい播磨守(2を選択)
秀吉が一番信用してた人だと思います。家康とも対等に話出来たとも思うし…。亡くなるのが早すぎましたね。
野口相模守(5を選択)
豊臣家の子として育てられた秀家の忠義は他とは別格です。
橘若狭守次郎吉(5を選択)
個人的に好きなもので…f(^^;
主水佑はじめました(5を選択)
彼の他無し
中務卿つっち(2を選択)
毛利と小早川は毛利家のため、上杉は義のため、前田利家と宇喜多秀家が豊臣のため動いたと思います。利家と秀家は比べにくいけど、影響力の大きさで利家。
TARKUN式部大輔(5を選択)
秀吉公に恩義を感じて、関ケ原の戦いでは勇猛果敢に戦い、見事に証明して見せた宇喜多秀家公以外にはあり得ません。
庄内尾張守矢田(2を選択)
利家には、天下取りの野望なし。
織田右京大夫青龍(2を選択)
前田利家の死去した後から豊臣家はおかしくなった。
石井源四郎(5を選択)
宇喜多だけ
蓬左の武将尾張守⚡️晋作(2を選択)
他の4人はいずれも力関係で屈服した家。友人という存在として、特別な思いはあったはず。
一方で、次代は徳川になることを見定めていたはず。
田島美濃守(6を選択)
直江状が示しています。
まさ宮内卿猛虎(6を選択)
上杉景勝しか居ない。他の大老は、至福を肥やそうとばかり考えて、自分の欲に燃えていた。景勝は謙信譲りで、約束は守り育てて、廻りの武将にも人望厚い人であった。
ぽめ(5を選択)
八丈バンザイ!
我こそは眞田左衛門佐幸村(1を選択)
嫌いだけど、家康さん。
ミーです越後守(6を選択)
やはり義の上杉。
東北での活躍ぶりが証明していると思います。
伊能外記忠敬(2を選択)
長年の友ですから。
今川治部大輔義元(5を選択)
家康は無論
毛利・上杉は家康の次に第二・第三の家康に成り得たと思う
小早川は毛利のためにしか動かなさそうだし前田利家もいくら忠義者だとしても
前田家を残しそう
ここはやはり宇喜多だと思う。
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