松平忠直配流事件の真相は?(2016/03/28)
北ノ庄城(現、福井城)跡 (C)福井市
元和9年(1623年)、将軍徳川秀忠の甥でもある松平忠直が越前北ノ庄から豊後へ配流となった。この出来事の要因としては様々な説があるが、あなたが考える松平忠直配流事件の真相は?
[投票実施期間]2016年03月28日~2016年04月16日
1.通説の通り忠直による参勤軽視や人斬りなどの乱行が目に余り、幕府がこれ以上大目に見ることができなくなったため処分を下した。 |
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2.忠直の乱行の大半は後世の捏造と思われるが、お家騒動を起こすなど忠直の器量は大大名としては相応しくないと幕府が見限った。 |
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3.幕府権力が脆弱な時期に家康直系の忠直が大きな領土を持つことに危機感を抱いた秀忠が、適当な言いがかりを付けて隠居させた。 |
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4.本多正純らによって忠直が新将軍として擁立されようとしており、幕府がこれを隠密に収めるため忠直個人の問題として処理した。 |
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5.忠直がキリシタンだったという説が事実で、幕府がその取り締まりの見せしめにするため、親藩の藩主であったにもかかわらず忠直を配流とした。 |
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6.その他 |
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「ニッポン城めぐり」利用者のコメント
成田上野介のぼう長親 (6を選択)
秀忠の娘を妻としながらもこれを殺害しようとしたり、真田幸村を討ち取りながら恩賞不十分だと不満を募らせたり、幕府にとっては目障りな存在だったから。
柏木常陸介マサカド(2を選択)
越前騒動・参勤怠慢・勝姫殺害未遂など失態が多く、大大名としての器量が足りないと思われても仕方がないと思いますが、12歳での家督相続など擁護すべき材料も多い人物という事も加えておきます。
仕事多忙中納言速水右近(4を選択)
過去の時代劇の見過ぎで4番しか考えられません。(笑)
まさ宮内卿猛虎(2を選択)
乱行の原因は、大阪の陣で戦功を挙げたが、報われず冷遇された。結果、乱行に及ぶ事となり、後世に誇張され伝わったもの。家光の時大分に左遷されたのは、実質的に、将軍家の御家騒動と言えるのではないか?
いの37紀伊守虎之助(3を選択)
前田と大阪の間の楔的な役目は大坂の陣で終わったので、役目の終わった土地で大封を持つ事自体に、危険性があった。目立たず従順を装い、家を守る必要があったのに、それができなかったという事でしょう。
らりるれろ(6を選択)
闘いだ
右近衛少将りおちー(2を選択)
まだ幕府も落ち着かない時期だし、リスクの芽は摘み取る必要があったのでは
津軽宮内大輔藤原信建朝臣(3を選択)
鬼秀忠。
島津大隅守龍伯(5を選択)
これに関しては調べても幕府が隠蔽するだろうから難しい。本音はこれじゃないかなと思う。
このみどり(4を選択)
そんなトコじゃないのかなぁ…。
(4を選択)
正純潰しかな?(*^_^*)
たかぎん(6を選択)
キリシタンを通じて伊達政宗とイスパニアの同盟軍結成による反幕府勢力を断絶させたかったのでは?
弟は猫(3を選択)
秀忠、家光政権での中央集権化の一環かと思います
主計助ケエン(1を選択)
松平忠直という人物自体知らなかった。(勿論、今調べました)選択肢3も面白かったけれど、やっぱり安定の通説かな?
永眠武蔵守釋 葱進(3を選択)
有力なライバルはさっさと潰すに限る
(3を選択)
ざっくり言えばそういうことね。
(3を選択)
身内でも結城秀康の嫡男の時点で取り潰す予定だった気がする
黒田大宰大弐ななつ星(2を選択)
真相は闇の中ですな。。。
麻呂(3を選択)
忠直殿の忠の諱は、姑であり、時の将軍秀忠殿から頂いたものである。
恐らく、忠直殿の父、結城秀泰殿が、弟の秀忠殿に暗殺されたという噂から反抗したのではないか?
甑岩式部卿正頼(6を選択)
家康の生前の指示だと思います。秀康を冷遇していたので。
確か海音寺潮五郎が家康が秀康を嫌ったのは生母の貞操に疑惑があったからと書いてた。だったら、徳川に関係ない血筋を残す必要がない…とかね。
左大臣国盗りひろくん(4を選択)
本田正純も殺されてるし、権力闘争の一環かと
相模守愛洲久忠(1を選択)
発病の記録が残ることから、あながちすべてが捏造とは断定できないかと。ただし若年で家督を継承したがゆえに藩政運営については問題を解決出来るだけの素養に欠けていたのではないでしょうか…。
Michi(6を選択)
色々問題はあったのかもしれないが、親藩だろうが一族だろうが、幕府は断罪するという事を示したかったのでは?忠直自体がそんなに悪いということでは無いと思う。
黒猫くん上総介(2を選択)
御家騒動が将軍家までに及ぶと変に騒ぎ出す連中が出るから
へこ(6を選択)
嫌いだった。
左近衛大将忠三郎(3を選択)
結城秀康がそもそも家康から嫌われてたから?
ぽめ(6を選択)
存じ上げません。
田南部弾正忠惟長(6を選択)
日出藩に匿われた秀頼を捜すために送られたという伝説を聞いたことがあります。
(1を選択)
詳しくは分かりませんが大方
通説の通りだと思います(・∀・)
アンパンマン(3を選択)
適当ではないが、自己防衛のために小さい失態を大きくした。秀忠は陰険。
武田信繁モドキ(1を選択)
通説通りだと思う。いくら領土を与えたからと言っても75万石くらいじゃ幕府はびくともしないだろう。
京極弾正大弼ぽて丸(3を選択)
いかにも権謀術数に長けた徳川政権にはあり得る話ではないかと(笑)
東風谷佐渡守実直(4を選択)
伊達政宗が忠直を擁立しようとしていたとも言うね
しんぺー(3を選択)
秀忠個人と幕閣を含めた総意による処分かと。
将軍としての正統性は秀忠にあるにしても、結城秀康→忠直ラインのほうが血筋上が上。また、豊臣秀吉猶子の一族であり、豊臣恩顧の大名との連携も恐れたのでは。
後の北政所征夷大将軍いしじぃ(4を選択)
戦国乱世が終わり、徳川政権時代の幕僚達の権力闘争の犠牲者だと思います。
源山城守@ポンコ2…(6を選択)
真相は藪の中ながら、取り潰しに値するものがあればこそかと思います。
桜左近衛少将姫(6を選択)
秀忠の娘が嫁いで、その間に一男二女いる状況。だから、なんか意外と内輪的なもめごとかもしれない。
A.T.権大納言(6を選択)
単純に秀康の血筋を消したかっただけでは?
百段上総介久太郎(3を選択)
そういったことだと思います。忠直の軽率さや乱行は、ある程度は事実だとしたうえで、付け入られた、と。
まさむね(3を選択)
これが無難な解釈かと。
奥州探題大崎侍従政宗(3を選択)
秀忠必殺技 適当な言いがかりをつけて改易 「忠直は隠居だけど」が発動されたのでした 忠輝みたいに流罪されないだけマシでせう
志摩守ニコちゃん(4を選択)
将軍になりたい野望が捨てられず、野心の結果
フレデリカ.G(6を選択)
父が召抱えた豊臣恩顧の手練れの将帥達を纏め上げるには余りにも若すぎた
教育役に恵まれず、本多正純クラスの臣が補佐役にいないのも重ね重ね不憫
しまっこ♪石見守(4を選択)
忠直は乱世に生まれていたら…と言われるような逸材だったようですね。
ウツーノ越前守白起廉頗王翦(6を選択)
理由はどれも当てはまりそーで選択できないなぁ。乱行にお家騒動、同腹の松平忠吉以外の兄弟筋には冷たかった秀忠からの左遷やキリシタン疑惑など説が多すぎだわ。
隼人正のぶちゃん(3を選択)
幕府は、忠直が邪魔で仕方がなかった。何か理由着けて処分したかった。
それを、諌める家臣がいなかった❗
せしえもん中務大輔(6を選択)
本質は1だが遠因は跡目問題(秀康、秀忠)に起因したものと思われる。場合によっては秀忠側からの陰謀で3も疑われる。
けんた駿河守(4を選択)
これかな。
織田右京大夫青龍(2を選択)
乱行は後からつけられた噂に過ぎないのは同感で、大大名に相応しくないので見限られたのが真相だと思える。
日向夏隠岐守(2を選択)
見限ったというより親藩でも容赦はしないという見せしめってのが事実かな。
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