武田信虎追放の真相は?(2015/06/04)
武田晴信像(部分、高野山持明院蔵)
甲斐国主武田信虎は、実子である武田信玄に国を追われた。後年、この無血クーデター劇には様々な憶測が飛び交うが、あなたの考える信虎追放の真相は?
[投票実施期間]2015年06月04日~2015年06月25日
1.信虎から疎まれ廃嫡の危機にあった信玄が、これを未然に防ぐために自らの意志で実行した。 |
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2.領民の怨嗟の声を無視できなくなった信玄と一部の家臣が、武田家の存続のために共謀した。 |
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3.強権的な信虎に危機感を抱いた宿老たちが、若く扱いやすい信玄を擁立するために主導した。 |
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4.勢力を拡大する信虎を危険視した隣国の今川義元が、信玄をそそのかして誘導・実行させた。 |
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5.信玄が信虎も合意のもと、信虎に東海道から京までの情報収集をさせるため追放を偽装した。 |
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6.その他 |
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「ニッポン城めぐり」利用者のコメント
半日皇帝下野守(5を選択)
意外や意外!?だったりして(;^_^A
Hyoop(6を選択)
1や2の側面も含め、
ろくでもない事ばかりする様になったボケ老人から実権を奪った。
借王甲斐守影虎(2を選択)
基盤を固めず領土拡大に力を注ぎ過ぎた結果かと…
木工允ぼくぜん(1を選択)
5だったら面白いな~。
GINTOKI(2を選択)
信虎はかなりな、暴君であったようなので家臣の信頼を失い晴信の擁立という事態になったと思う!
平朝臣井坂弾正少弼貞幹(6を選択)
1と3の混合。
信虎は中央集権を進めたが譜代家臣の拒否感が強かった。そこが信玄の廃嫡回避の思惑と一致。信玄には家臣を活かし納得させるバランス感覚と適切な采配を執行する能力があった。
瀧乃道宮内卿ユズル(2を選択)
嫌われたらアカン
黒崎城(2を選択)
個人的な理由もあったかもしれないが、その後の信玄の行動からはこう考えたい。
明石右大臣則実(3を選択)
戦国の常として、まだ若い晴信を傀儡として担ぎ上げたかった雰囲気があったのかも。
ボス紀伊守(6を選択)
無能な上司は、追放されるのと一緒でしょ。
かんべえ(4を選択)
信玄のその後の動向を見ると、かなり野心的な行動をとっていると思う。だから、個人的な理由ではないかと思います。ただ、弟達がその後も信玄と行動を共にしたので、領民を思っての行動と言うのも捨て難い。
田部朝臣土持安房守(6を選択)
3にプラス1でしょう。家臣は担ぎ易いと思い、それに乗りながら自らの利もとった。
御輿であれば信繁でも良いわけで…
右近衛中将伊周(3を選択)
有力国人達が粛清されることを危惧したためではないかと
関白ちょろ(6を選択)
1+2て感じなんですよね
廃嫡の危機を感じた信玄と悪政に耐えられなくなった(国を憂いた)重臣(同盟国)武将の利害が一致した
てトコでしょうか
まさ宮内卿猛虎(4を選択)
信虎の追放は、織田家臣・信玄・義元の共謀と思われる。全ては、信虎の力を削ぎ、克意気軒高な信玄ではなく信繁に相続させる方が、付き合い易いと考えたものと思う。
新米暴騰中納言速水右近(3を選択)
宿老達の意見を聞かない信虎に、謀反を起こし信玄を擁立したはずでは?
なまず(3を選択)
信玄死して尚、甲斐に戻れなかったからなぁ…
太政大臣dougen(4を選択)
武田家を撹乱するつもりが、晴信の元、結束を固められてしまった。のかもしれない。
聖戦士尾張守ヒロフミ【✤】(2を選択)
まあ、これが妥当かなと思う。
5なら信虎にとってなんのメリットがあるの?
猫夫人(5を選択)
小説とかでは、信虎が残酷非道な行いで追放、とあるけど、あの賢い信玄がそれだけで追放とかじゃないと思う。多分。
三条大納言猫又(3を選択)
実際に信玄が扱いやすくあたかは、別として…
板東太郎悪源太(1を選択)
2もありだが、一番は廃嫡されるのをおそれて、先手を打った
鶴亀仙人(2を選択)
どうなんでしょうね(;^_^A 人を大事に思う信玄公ならこれが正解かな。
平敦盛(3を選択)
3かな・・・。
婿の今川も絡んでいる気もするけど 家臣の賛同などを考えると やはり 家臣達の画策があると思う。
関白 大神信貫(2を選択)
やはりこれでしょう。漫画でもそういう描写だったし。
愚右兵衛督某(3を選択)
信虎は内にも外にも強い武田家を目指してた気がします。
でもそんなことされたら、既得権益を持つ家臣からは困る、そこら辺が理由ではないのかと
スー上野介(1を選択)
知行宛外状などからも、通説通りがベターかなと。
☆烏丸権中納言☆(2を選択)
4の説だったら個人的にはメチャ面白いけど、まぁやっぱり2でしょうね(;^_^A
駿河守アパテ(1を選択)
2の説とかは、後からでっちあげた感が。ここは素直に。
所沢亭織部正龍興(1を選択)
まあ、通説通りかなと。
ひで(6を選択)
1と2が合わさったんじゃないですかね
式部卿となりのヨーダ(3を選択)
この時の信玄にはカリスマは無い
★ギター★(2を選択)
信虎は戦をしすぎた。税の取り立ても容赦なかったらしい。信繁の器量も大きかった事も、原因の一つだろうし家臣が二分するのが致命的になるからそれを防ぎたかったのだろう。
竹中兵部卿半々兵衛(6を選択)
本当に血をわけた親子だったのだろうか?
まさむね(3を選択)
3が一番現実的。
青き巨星弾正少弼かみ(2を選択)
民、家臣あっての領主、人は石垣〜の言葉はコレを暗示していた?
蒼月☆大学頭(2を選択)
他の説では、家臣や民がついてこない。協力して追放したことで、結束力が強まったと思う。
静寂の葵内匠頭命(1を選択)
3の一部も併せてということで…後の行動を見て2は×。信虎のやり方に危機感は抱いていたたものの宿老の主導は×。4は面白いけど今川の関与なら同盟はもっと早かったはず。5は論外。
ウツーノ胆振守白起廉頗王翦(3を選択)
信虎は内政より戦に暴走して家臣団の手に余る状態だったので若く御しやすい晴信に交代させたかと。でも晴信も名君とゆー家臣団の想定以上の化物でしたがね。
shoul(1を選択)
戦国の掟
相模守隆氏(6を選択)
他国の人材を登用し、地元の有力者より恨まれた。
刑部大輔長門喫茶(5を選択)
これだったら、すごい策だなあと希望も込めて❗
征夷大将軍琉雨(4を選択)
力ある後ろ添えがいたはず。
ピヨピヨ美濃守ぷー(3を選択)
その後の信玄のカリスマ性までは宿老たちも予想してなかったでしょうね。
ひらちゃん(3を選択)
1~4はどれもあったのでは。2と3が理由の大半を占める気がする。
あと信虎は典厩を後継にしようとしていたことから、内紛をおそれた板垣甘利といった宿老たちのクーデターでもあったのでは?
野呂利左衛門督休三(6を選択)
不思議なのは強権的な信虎であっても、支持する人物はいるはずなのに、晴信の下でなのに粛正が行われていない。3の側面はあるが諏訪侵攻への方針転換もあるのではないか。5なら甲陽軍鑑に書かれそうだが
銀英6阿天暮郎(3を選択)
信虎よりマシだろう、ってとこだったんじゃないかな、正直。で最高の結果だったと。
ごん(6を選択)
5以外は絡み合って様に思う。
綱島出雲守八雲(6を選択)
4・5は、まずありえん。
1は「武田晴信」一人ではまず無理。
2と3を合わせ、更に弟の武田繁信の協力ということで「6」。
甑岩式部卿正頼(6を選択)
外交方針に関する主導権争いが原因のクーデターだと思います。
信玄の代になった途端に諏訪を攻めてる。
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