清正と行長の配置は正しかったか?(2015/05/04)
加藤清正と小西行長の錦絵
豊臣秀吉による肥後を南北に分けた加藤清正と小西行長への知行割り。当初から反目しあい朝鮮の役で激しく対立、関ヶ原でも東西に分かれた両者のこの配置は正しかったか?
[投票実施期間]2015年05月04日~2015年05月26日
1.ライバル心を煽ることで相互の武将としての資質を高めた最良の配置である。 |
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2.結果的に対立することとなったが、当時の情勢を考えれば無難な措置である。 |
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3.統治の難しい肥後を治めるためには、人材不足の中ではやむを得なかった。 |
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4.両者の性格を考えれば、秀吉生存中に何らかの対処をしておくべきだった。 |
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5.対立することは最初から目に見えており、秀吉の失策と言わざるを得ない。 |
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6.その他 |
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「ニッポン城めぐり」利用者のコメント
黒猫くん上総介(1を選択)
秀吉の狙いはコレ。実際お互いに相当に成長した。特に行長の方は効果絶大で単なる能吏から戦場の前線で指揮を執れる「武将」としても成長
アンパンマン(2を選択)
初めての大領を仕置きさせるのに、ライバル同士で半々とする。まぁ良かったんじゃないでしょうか。
快刀乱麻きらり(6を選択)
金沢の前田vs富山の佐々の例もあるように両者の衝突は予見でき石田三成など文治派の周到な配置かと
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