「バテレン追放令」、あなたはどう評価する?(2015/02/18)
狩野内膳画南蛮屏風(部分)〔リスボン国立古美術館蔵〕
天正15年(1587)、豊臣秀吉によって発布された「バテレン追放令」。当時の日本でも多方面に大きな影響を与えたと言われるが、あなたはこの秀吉による規制をどう評価する?
[投票実施期間]2015年02月18日~2015年03月03日
1.一向一揆に悩まされた信長を見ており、宗教勢力による体制への反抗を恐れたという点で納得できる。 |
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2.先に布教を行い、後に植民地化するという西洋諸国の思惑を未然に阻止したという点で評価できる。 |
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3.神道や仏教など、日本古来の宗教が衰退することを危惧したという点では一定の理解はできる。 |
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4.キリスト教徒が一揆化したり神道・仏教が衰退するとも考えにくく、秀吉の過剰反応と言える。 |
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5.布教と引き替えに優れた南蛮技術を導入した信長と違い、自らその扉を閉ざした愚かな政策である。 |
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6.その他 |
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「ニッポン城めぐり」利用者のコメント
【❖】二代目にゃ~(2を選択)
どちらかと言えば2だよね…宗教によって民衆を取り込めれてからは、西欧列強には敵わないでしょ!
トムトム秋田城介(6を選択)
藩主が信者になったり、封建体制がキリスト教により崩壊し、秀吉の巨頭体制が維持しにくくなるのを防ぎ、信者を足掛かりにした西欧の植民地支配を防いだ。
【無】万年同心武蔵守三四六(2を選択)
豊太閤も、そこまでは考えていなかったと思いますが、結果として。
駿河守アパテ(5を選択)
酷評する気にもなれないけど、明らかにリスクよりもメリットのほうが大きいように思う。
エダサンゴ(2を選択)
結果論になるかもしれないが、ヨーロッパの列強に虫食いの様に植民地化していたかもしれないから鎖国というかバテレン追放令は日本にとって良かったと思う。
大宰少弐ためぞう(2を選択)
1と2両方だけど、しいて言うなら2。大村純忠の領地寄進が原因?でもあるだろうけど、意義として評価できるのは2。知っててやったかどうかはわからないけどね。
綱島出雲守八雲(1を選択)
宗教は過激すぎると弱者の権力者への不平不満のはけ口に利用され、洗脳し暴徒化するのは現代も同じように思います。農民出のヒデはノブの敗因を見抜いていたのでしょう。
さとし(3を選択)
私は豊臣秀吉自身は好きではない。兵糧攻めや水攻め、三木城干殺し等卑劣!!
でも我が国の今ときたら、日本は何教?!て聞きたくなる。その点では【バテレン追放】大賛成です。
左近将監摂政(6を選択)
お題がマニアック過ぎるよ(^。^;) 当時の九州では、土地は教会に寄進するわ、外人相手に人身売買はするわの状況だったわけだから、統一権力の主宰者としては、素朴な危機意識の発露って感じじゃないかな。
三日左馬助落人(2を選択)
宣教師ソテロがスペイン国王に宛てた書簡より。「…日本は住民が多く城郭も堅固で軍隊による侵入は困難。よって福音を宣伝する方策によって日本人が悦んで陛下に臣従するよう仕向けるしかありません」
ソバッソ80.0(2を選択)
この問題複雑に絡まり過ぎて全部選択したいけど、花の慶次に感化されて②。
しかしイスパニア帝国の侵略って話はホンマなんやろか。史実宗教侵略てある話やけど。日本人は疎いよね。
ひろ(6を選択)
2と5の半々
誠之亮中務少輔(1を選択)
う~ん…基本、リスク回避が強いイメージやね!
兵部大輔長門喫茶(2を選択)
実際に奴隷として…という事例があったので、植民地化を危惧して追放令を出しても仕方がない。
太政大臣dougen(1を選択)
信仰心の強い信者は、怖い。
現代でも
甑岩式部卿正頼(5を選択)
必要なかったと思います。
柴崎権大納言幸助(1を選択)
とにかく乱世を終わらせることを一番の目的とするならば、こういう選択も有りうるかと…
ウオッカ能登守(2を選択)
この時代としては十分に評価できると思います。
タタキ武蔵守(6を選択)
1と2かな。狂信者がなにやらかすかは一向一揆でさんざん見てきたわけだし、結果論からいってもキリスト教を布教させたうえでの侵略が常套手段だったからな
左近衛少将 rstones(2を選択)
まあ、2に尽きるわな(^o^)
前中務少輔スマイルザムライ(6を選択)
「結果的にこうなった」というもので、評価するも何もないような気がします。信長・秀吉はイメージで捉えられすぎなのでは?史料を読むと、割と一般的な戦国大名と考え方などは近いように思われます。
明石則実右大臣【二つ雁金】(1を選択)
実際には追放令が出されても布教は半ば黙認のような形だったので、たいした影響はなかったかも。徳川幕府の禁教令のほうがよほど愚策ですね。
あかさ(6を選択)
宗教事態に攻撃性はないはずだが、対人である限り争いは避けて通れないと考える点では理解出来なくもない。しかし、そこまで徹底しなければならなかったのかと考えると他に何か方法はなかったのか…とも思う
那賀大蔵丞景業(2を選択)
4以外当てはまる気がする。家康もバテレンには厳しい態度だった事から間違ってはいなかったかと。
日高守きこりん(2を選択)
きっと大大名の中に、キリスト教勢力に肩入れされる奴が出てきて、天下統一する勢力は現れず、日本はボロボロになっていたと思う。
5でもあるとは思うけど、上に書いた危惧の方が強い。
トイスじょう(2を選択)
今の世界を見れば解る事!自分等の思い込みの邪教を世界に広めた結果…今の戦争だらけの世界に成ってしまった
アンパンマン(5を選択)
独裁者としては危険の芽を摘みたかったのかもしれないが、江戸幕府の鎖国政策のように世界水準から取り残されてしまったと思う。
影武者(3を選択)
秀吉の考えなら2番目の考えも有るだろうがあえて3番目の考えも有るのではないかと思う。家康の考えも秀吉と同じだろうと思う。
井伊兵部少輔直政(4を選択)
朝鮮出兵やバテレン追放令など、晩年の秀吉公は人が変わった様な感じがします。
天方民部少輔某(2を選択)
寺社の勢力は削ぎたいが、諸外国の宗教的支配力も脅威で、二者択一の結果手元の勢力の方が管理し易いと考えたんじゃ無いかな?権力者側から見る宗教は脅威でしか無いし…
城井宇都宮智房(6を選択)
本当のところは不明…
我こそは眞田左衛門佐幸村(5を選択)
おバカさん。
フー甲斐守(6を選択)
武家中心の社会基盤の中ではあのようにするしかないのではないでしょうか。
キョロ左近衛中将ちゃん(2を選択)
南米やアフリカみたいにならずに済んだ。鎖国と共に評価するべき。
(6を選択)
やっと天下統一したのに、他の大名へ西洋武器が流出しちゃうじゃないか〜^^; ずる賢い秀吉くんだよ〜 不安材料は徹底排除さぁ(≧∇≦)
タッチ(2を選択)
現在ニュースになっているイラクやクロアチアでの戦争も然り。日本人独特の思想や穏やかな性格は、江戸時代の長い鎖国の間に培われました。振り返ると功績の方が大きいと感じます。
尾張守だもんで(6を選択)
朝廷や寺社勢力との結束のためには必要だったのかも。
摂政日暮散財衛門(2を選択)
異国は領土を拡大する為なら、どんな事でもする。若き日の秀吉には先見の目があった‼
イダッチ内膳正ヨッチャン(2を選択)
イエズス会のやり口を考えると、過剰反応とも言い切れない。実際、キリシタンの領地も有ったし、為政者としては、不安材料の排除は必要だったでしょう。徳川幕府によるキリシタン弾圧は不合理ですが。
津軽宮内大輔藤原信建朝臣(1を選択)
宗教勢力の政治介入を防ぎ、武家政権の維持を継続していくためにはやむを得なかったのだと思います。
( *¯ ³¯)っ旦(2を選択)
大坂の町並みの教会、洋館が乱立していたのを見て秀吉が「日本か外国かわからん!」と激怒した、教わったことがあります。
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