西南戦争を決意した隆盛の判断は正しかったか?(2018/01/09)
西南戦争終盤に西郷隆盛が起居した西郷洞窟(写真提供:鹿児島市)
明治6年の政変で西郷隆盛らが下野し、その後の士族の反乱などをきっかけに勃発した西南戦争。
日本最後の内乱として、日本中に大きな影響を与えた戦いであったが、開戦に至った西郷隆盛の決断は正しかったか?
[投票実施期間]2018年01月09日~2018年02月01日
1.戦力が充実していたこともあり、開戦という決断に至るのは当然である。 |
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2.西郷ひとりで士族の爆発を抑えることはできず、開戦はやむを得なかった。 |
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3.周囲の勢いを抑えつつも開戦には至らないような道を模索すべきであった。 |
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4.多くの貴重な人材が失われたことを考えると、開戦は避けるべきであった。 |
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5.西郷の判断というよりも政府によって開戦へ誘導されたと考えられる。 |
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6.その他 |
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「ニッポン城めぐり」利用者のコメント
守山兵部丞たんたん(2を選択)
士族らしい死に場所を探していたのかも
【無】万年同心武蔵守三四六(5を選択)
ただ、西郷どんも、不平士族を一網打尽にする大久保の謀略と気づいた上で、不平士族の御輿になったと思います。
筑紫次郎左近衛大将(6を選択)
良かったとか良くなかったと言う話ではないと思う。
かえる(2を選択)
周りに担ぎ上げられたという感じですかね。
役行者河内守武さん(3を選択)
3で、あってほしかった。
ジョウ陸奥守(5を選択)
致し方ないかな!
津軽宮内大輔藤原信建朝臣(2を選択)
「西郷どん」期待してます。
田安左近衛少将瞬菜(2を選択)
太平の世になった際、それまで必要だった武装集団をどう解体するかはどの歴史も大きな課題。西郷さんは集団の人数やプライドを減らすことも含め、判って敗戦の道を選択した
森武蔵守長可(3を選択)
ここで止まっていたらという場面は何度でもあった。暴走した若者に引きずられずに留めるべきだった。西郷の力なら出来たはず。
河崎宮内卿(2を選択)
時代についていけなかった士族の怒りの捌け口と鎮圧による非暴力への方向転換は日本史にとってかなり意味のあるものであったと思われる
こころ監物白午神(2を選択)
西郷も嫌いだが、悲惨な軍国主義を作ったのは長州だ。徳川のままならな今日でも戦争は無かった。250年戦が無かったんだぜ。
まさむね(2を選択)
士族の反乱の最後は薩摩が締めるしかなく、
西郷がそれと運命を共にするのは必然。
やむを得ないことだった。
はな左近衛少将(5を選択)
南洲翁が生きていれば、違った日本になっていたはず。。。。残念です。。。
史路巡里2020(5を選択)
誘導されていることは解っていたがそうせざるえなかった。プライド、意地、周りの空気感、退かないことで何かを感じて欲しかった。
HIGE権中納言POKO(3を選択)
難しいとは思いますけど、なんとかしてほしかったです。
本多左近将監忠政公(5を選択)
政府の策略
志摩守ニコちゃん(5を選択)
西郷の元に人材が集まり過ぎたので、政府としては、火種は積みたかったのでしかたなかったような
尻啖え孫市権中納言(4を選択)
避けるべきではあったが避けることはできなかった。前の戦争のように。結果を知っている我々が正否を判断すべきではない。歴史は生き物だ。
KAZ左大臣正勝(6を選択)
質問がわるい…本人が最善と思い、行動した事が歴史では?
今後は、現代ではどの様な方法があるかを
議論してはどうでしょうか?
正しいかどうかの判定は、先人に
失礼だと思います。(´・ω・`)
すーだら(4を選択)
開戦は避けるべきであったが、「多くの貴重な人材が失われた」というのは結果であってそれを論点にしてはいけない。武力ではなく政治力で対峙すべきだった。
じゅん右馬助(2を選択)
仕方ないかなぁ
sandboy(6を選択)
長期視点の無い大将が流れに巻き込まれた結果の無意味な流血に思えてしまう。西郷は、革命にもっと流血が必要だと考えたが、それが形を変え、共同体の怨念となってしまったのではないだろうか?
常陸介ちょくぎ(2を選択)
これでしょう
シバヤン左兵衛督肝胆相照(2を選択)
士族も百姓も皆、同じ人間。博愛平等な国作りを期待していた西郷には維新功労者を優遇、権利を利用した金儲けする政府高官に憤りを持った。もはや堪忍なりがたし!
國司信濃越後守(5を選択)
明治新政府は近代軍隊を実戦で試したかったと聞きます。新政府の実効支配の及ばなかった鹿児島を支配下におさめかつ軍隊を実戦で使える良い機会と考えたのでは?
かけろま(2を選択)
1時勢が何も見えていない。
2反勢力の領袖とならぬよう、兎猟や湯治の隠遁生活に入っている。
3できたらやっている。
4無意味な結果論。
5『西南記伝』などから否定は出来ない。
6珍説奇説。
かげとら(2を選択)
西郷さんに戦意が感じられなく諦めの境地で担ぎ出されただけだったではないのか?
明石則実右大臣【二つ雁金】(3を選択)
全くもって無駄な戦い。後の軍閥跋扈の風潮をを考えれば、あたら無駄に戦いをすべきではなかった。薩摩にも若い有能な人材は多くいたはずなので、西南戦争は西郷の唯一の汚点だったかと。
ばし(5を選択)
完全に流れに逆らえない感がある。
明治政府からみれば必要な犠牲
(2を選択)
しょうがないでしょうー
右兵衛督ギショー(6を選択)
今更、正しかったかを議論する意味は無い。
キノピー(2を選択)
開戦を抑えることができれば、それに越したことはないけど、西郷どん一人で抑えきるのはムリがあると思います
時代の変革には有望な血の犠牲がありますね
中垣内征夷大将軍瑞賢(5を選択)
薩摩側から見て、戦争目的がいまひとつわからない。政府側からは、反政府分子の炙り出しから殲滅という筋書が見える様な気がする。
Takaaa!!武蔵守(2を選択)
明治政府を存続させるため、士族の不満を受け止めるための英断であったと思います。
図書助あーりー(6を選択)
当時の状況からは、開戦はやむを得ないものであった。西郷は、反体制である士族をあえてまとめ上げ、負けると分かっていた戦争へと突き進み、反対派をまとめて始末する方策をとった。
飯盛山河内守(6を選択)
2と5の複合型ではないか。
mootze(4を選択)
本当は、みんな、なかよく、いい方向へ行きたかった
JOHNNY(6を選択)
西南戦争を西郷が先導して行う事で
新政府の政治を大きく動かしたのは確かだけど
他の方法は無かったのかと悔やまれる
鞍馬佐渡守TENG(2を選択)
本気で勝てると思って始めた訳ではなかったと思う。古いサムライたちの面倒を最後までみてあげたのではないか、、(T . T)
酎)渋川大和守レモンサワー(6を選択)
開戦する時期が遅すぎる。神風連 佐賀の乱あたりで挙兵すれば勝機あり。
眞田左衛門佐十兵衛(5を選択)
政府内にも下野した西郷隆盛を崇拝した人も多く、不満を抑えきれない士族と共に消し去る良い機会だったのでは?政府側の陰謀もまんざらではないと思います
兵庫頭pepe(5を選択)
大坂の陣と同様、浪人対策の側面が強かったという見方ができるのでは。
後志守ゆま就(4を選択)
どんなに厳しい状況でも勝算なき開戦は避けるべき
天叢雲修理大夫風歌(2を選択)
長州他、各地で士族の乱が起きていたので西郷では押さえられなかったと。
逆に西郷が立ち上がらなければ反乱規模は小さかったかも。
ℵ新居泰之進ℵ(6を選択)
西郷とともに完全に武士の時代終結した。士族を道連れに西郷は歴史の表舞台から消えた。新たな時代を創るということから考えれば正しかったといえる。
【戦国扇風】武蔵守J-9(5を選択)
下野した時点で、大久保利通が詰みだったと思う。西郷隆盛が死、間を置いて利通が暗殺される際に懐から隆盛の手紙があったそうな。断金の間だった彼らが、長すぎた武士の時代から新時代への贄に為るとは悲しく…。
真田左大臣もきち(2を選択)
西郷という神様は決して信者を裏切らない!いっしょに死んでくれと言われれば喜んで命を預けたでしょう‼
ミハチマ甲斐守(5を選択)
維新の犠牲だったのではないのかなぁ
残念ですね
定禅寺宮内卿晩翠ご隠居(3を選択)
戊辰から西南戦争までの争乱は、発生させる必要性があったのかと、いつも思う次第。
有隣備中守(5を選択)
士族の不平不満を一身に受けて内乱を
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