荒木村重謀叛の真相は?(2017/12/14)
荒木村重錦絵(部分、伊丹市立博物館蔵)
突如織田信長に反旗を翻し、その後討伐軍に敗れて没落した荒木村重。この村重謀叛では様々な原因が取り沙汰されるが、その中でも最も直接的な動機となったものとは!?
[投票実施期間]2017年12月14日~2018年01月08日
1.一介の国人の身分から摂津一国を領するまでに栄達し、自ら天下獲りへの野心が芽生えてきたため。 |
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2.本願寺と良好な関係であったことから、これを壊滅させようとする信長を看過できなくなったため。 |
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3.家臣が秘かに本願寺へ兵糧を横流ししたことが信長に露見し、申し開きは通用しないと覚悟したため。 |
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4.他の家臣の出世や冷徹な信長の性格を見れば見るほど、将来の自分の家中での立場に不安を感じたため。 |
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5.譜代家臣ではない自分に対する、信長自身やその側近の日頃の傲慢な態度に我慢できなくなったため。 |
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6.その他 |
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「ニッポン城めぐり」利用者のコメント
日向夏隠岐守(3を選択)
これと4の合わせ技かな。豊臣政権ではシレッと現れたわけだし。
ゴンタ肥前守.B(5を選択)
じゃないかな?
く(5を選択)
だと思う
監物ハム男(2を選択)
1はない。3は結果で、やはり宗教の理由と思います
トムトム秋田城介(2を選択)
かな?3・4との複合要素では?
こうじ相模守(3を選択)
気持ちがわかる
水天凰大神大学助(5を選択)
謀叛後の彼の生き様を観れば他人の態度など無視できるが信長の徹底した合理主義に自分も消される事を予知し無視できなかったンじゃないかな
志摩守ニコちゃん(1を選択)
戦国の世の中、野望のみです!
キク(4を選択)
信長に仕えて、信長を知れば知るほど、恐怖心や不安が芽生えてきたのだと思われる。
mootze(4を選択)
明智光秀と同様に将来不安に、陥った
ミハチマ甲斐守(3を選択)
信長に対する恐怖かなぁ
クワトロ兵庫助バジーナ(3を選択)
当初は謀反の気持ちは無かったと思うけど、疑い深い信長の性格を考えると…腹くくったと同時にそれなりの勝算も当時の西国の情勢を考えてあったかも…(毛利、足利義昭の誘いもあったかも)
はじめのいっぽん 上総介(6を選択)
足利将軍の暗躍になびいた口じゃないかなぁ?と、昨今明智もそうだったらしいという感じですしね。
鞍馬佐渡守TENG(3を選択)
成敗されるくらいなら、先に謀反を起こそうと思ったのではないか。あわよくば、賛同者が増えて一大勢力にでもなれば、との思惑もあったかと。
我こそは眞田左衛門佐幸村(5を選択)
たぶん
明石右大臣則実(2を選択)
荒木は元々、波多野氏の出自で別所などとも縁戚ですからね。波多野、別所が本願寺に与した時点で村重も覚悟を決めていたのでは?丹波播磨は自分の領国の隣だし、彼らと連携すればチャンスがあると思ったのかも。
京極弾正大弼ぽて丸(3を選択)
慢性的に④に対する強迫観念に晒され続けた結果の③という事かな、と。あくまでも引き金としての③。
【❖】二代目にゃ~(3を選択)
定説ですが…
いの37紀伊守虎之助(6を選択)
家臣の統制がとれなくなったからでは?
でなければ、簡単に見捨てますかね…
石堂右近衛少将一徹(3を選択)
当時の一向宗の信心は大きな勢力となって信長に抵抗していた、そのためには信徒となった部下の統率は大変だったと思います、難しい立場になってしまったのでは無いかと思います。
まさまさ摂津守(3を選択)
2と3の両方かな?
(*¯ ³¯)っ旦(6を選択)
中川清秀が唆した
信長に謝りに向かう途中「信長は一度裏切った奴は信用しない」と中川清秀。松永弾正の例を見てもそんな事は無い。
村重が信長に攻められて窮地にたったのは清秀が村重を裏切ったのも原因
中垣内征夷大将軍瑞賢(4を選択)
織田家中での自分の出世が頭打ちになったと感じたからでしょう。
本田左兵衛尉家吉(3を選択)
瞑想の結果、仕方無く・・・
ぼたのすけ弾正尹(3を選択)
信長は部下のミスに容赦無さそうなのでこれだと思います。
(6を選択)
毛利と裏で手を組んでたからのような気がする
雅峰刑部大輔(4を選択)
うーん、これかな。
尾張守だもんで(6を選択)
古参でない村重や光秀は信長の脱封建主義には賛同できずに反発したのでしょう。それ以外は覚悟して仕えていたのでは。
上州姫(2を選択)
このとおり
役行者河内守武さん(3を選択)
妥当かな
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