島津家久急死の真相は?(2017/11/16)
豊臣秀長に恭順の意を示した家久だったが…
豊臣家による九州征伐後、速やかに降伏の意思を示したものの、ほどなくして急死した島津家久。この突然の死には様々な憶測が出たが、あなたの考える島津家久急死の真相とは!?
[投票実施期間]2017年11月16日~2017年12月11日
1.豊臣秀長に降伏し会見した直後に死去しているので、秀長による毒殺の可能性が高い。 |
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2.秀長は家久を厚遇したが、その存在を恐れた秀吉の命によって密かに毒を盛られた。 |
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3.主家に先行して家久が降伏したことに対し、義久がその独立を防ぐために暗殺した。 |
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4.豊薩戦や日向の所領を巡って軋轢が生じていた義弘が、自らの判断で家久を毒殺した。 |
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5.一次資料に病を患っていたことが書かれており病死は確実で、毒殺は俗説に過ぎない。 |
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6.その他 |
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「ニッポン城めぐり」利用者のコメント
fenrir大宰帥(2を選択)
島津本家に対する威嚇の面もあるのでは
宮内少輔 雷蔵(5を選択)
秀長が毒を盛ってまで殺すとは思えない。病死のタイミングがたまたま被っただけと思いたい。
【❖】二代目にゃ~(5を選択)
一番現実的かな…
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