片岡愛之助の解明!歴史捜査
2017年11月23日21時00分
[放送日時]
11/23(木)21:00~22:00
[テーマ]
<徳川家未解決事件ファイル>
家康の嫡男・信康の切腹 正室・築山殿殺害事件の真相を追え!
(アンコール放送)
[概要]
信長の指示ではなかった!?
徳川家康の正室・築山殿殺害、嫡男・信康切腹の真相に迫る。
政略結婚の築山殿との間に生まれた溝。
信康の奔放に業を煮やした家康が下した決断。
[番組詳細]
事件が起きたのは天正7年、徳川家康37歳の時。
当時家康は、織田信長第一の同盟相手として、武田や北条ら巨大な戦国大名と向き合っていた。
そんな時、家康が「人生最大の痛恨事」と語ったとされる、ある事件が起きた。
家康の嫡男・信康の切腹、そして正室・築山殿の殺害事件だ。
正室・築山殿は、家康が今川家に人質に取られていた時に結婚した、今川義元の姪で瀬名姫と呼ばれていた女性。
そしてその築山殿との間に生まれた信康。
信康は、信長の娘・徳姫を正室として迎えていた。
通説では、徳姫が父信長に、信康や築山殿の悪行を12項目にわたって、手紙で訴えたことから始まった。
その中に、信康や築山殿が敵である武田氏と内通しているというものがあり、信長は激怒、家康に信康の切腹させるよう命じた。
家康は信長の命令に従わざるをえず、将来を嘱望していた嫡男・信康に切腹を申し付け、正室の築山殿を殺すよう命じたとされる。
生涯、信康を死に追いやってしまった断腸の思いを語っていたという家康。
だが・・・。
通説は、家康が神格化される中で、事件の真実を隠すために作られたものだというのだ。
家康が信康を切腹させ、築山殿を死に追いやった本当の理由とは何なのか?
信長は本当に、家康に信康切腹を命じたのか?
捜査から浮かび上がったのは、信長に事件の責任を押し付けた家康の姿だった!
信康と築山殿が敵の武田氏と通じていたという通説を
徹底検証。
見えてきた徳川家を揺るがす陰謀とは?
徳川家康を巡るこの未解決事件を徹底的に歴史捜査!
捜査チーフ:片岡愛之助
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