歴史イベント・メディア情報

棚倉城築城400年記念イベント 歴史講演会 演題『江戸幕府奥羽政策要衝の地 棚倉城の魅力』

2025年01月17日15時30分

 

以下「棚倉町」HP転載です。

2025年棚倉城築城400年
棚倉城の築城

元和(げんな)8年(1622)に5万石の大名として棚倉藩主となった丹羽(にわ)長重(ながしげ)が、寛永(かんえい)2年(1625)に江戸幕府の命を受けて築城しました。常陸(茨城県)と境を接し、奥羽の玄関口に位置する要衝(ようしょう)の地を押える役割があったと考えられています。長重は寛永4年(1627)白河へ移封となり、代わって棚倉藩主となった内藤信照(ないとうのぶてる)によって、引き続き城の造営や城下の整備が行われました。その後、城主は徳川譜代・親藩の家柄が入れ替わり、幕末の戊辰(ぼしん)戦争(せんそう)で新政府軍と戦い落城しました。巨大な土塁と水堀で区画される長方形の本丸と、それを取り巻く二ノ丸、その北西の三ノ丸(林曲輪(はやしぐるわ))からなる構造です。二ノ丸西側崖部(がけぶ)には石垣が築かれ、本丸土塁上には二重隅(すみ)櫓(やぐら)4棟、一重櫓1棟が建てられ、各櫓間を連結する多門(たもん)櫓(やぐら)は東北地方の城郭では随一の規模でした。平成31年(2019)に、国の史跡に指定されました。


講  師  北野 博司 氏  東北芸術工科大学名誉教授

記念ロゴマーク
別名「亀ケ城」といわれる棚倉城。今も残る二ノ丸西面の石垣を亀の甲羅に見立て、シンボリックに表現しました。また、400の数字の色は、お城に咲く「桜(ピンク)」、棚倉町の花「つつじ(赤)」、築城以前から棚倉町を見守る「ケヤキ(緑)」を表現しています。



棚倉城の名称いろいろ
 お堀に住む大亀が水面に浮かぶときまってお殿様が他国へお国替えされたということから、別名「亀ヶ城」と呼ばれています。

 丹羽長重は棚倉城が完成しないまま白河へ移りました。城壁を白壁に仕上げられず荒土のままであったことから、当時は「新土城」と呼ばれていました。

 奥州一宮近津明神(馬場都々古別神社)を現在の馬場に遷し、跡地に築城したため「近津城」とも名づけられていました。

問い合わせ先
棚倉町地域創生課
〒963-6192 福島県東白川郡棚倉町大字棚倉字中居野 33

電話番号:0247‐33‐2112

平日ですが、ご参考まで。

 

投稿者:源山城守@ポンコ2…

 

 

※投稿された内容の正確性、信頼性等については一切の責任を負いません。特にイベント等へ行かれる場合には、必ず公式の情報をご自身でご確認下さい。

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