名称(よみ) | 知覧城(ちらんじょう) |
所在地 | 鹿児島県南九州市知覧町永里知覧城内 |
天気情報 |
04/05(土) 降水確率:40% |
地図 | マップ/周辺の城/NaviCon |
問い合わせ | 南九州市教育委員会事務局教育部文化財課[電話] |
分類・構造 | 平山城 |
築城主 | 知覧忠信 |
築城年 | 平安時代後期 |
主な城主 | 知覧氏、島津氏、伊集院氏、佐多氏 |
遺構 | 曲輪、土塁、横堀 |
指定文化財 | 国史跡(知覧城跡) |
再建建造物 | 石碑、説明板 |
番号・名称 | (続)198 知覧城 |
設置場所 | ミュージアム知覧[地図] |
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知覧城(ちらんじょう)は、鹿児島県南九州市知覧町永里にあった日本の城(中世山城)。国の史跡に指定されている。
沿革
初めてここに城を構えたのは平安時代末期の頃の郡司・知覧忠信と言われる。室町時代、足利尊氏の下文によって島津忠宗の三男・佐多忠光がこの地の領主となった。その後、島津氏の内訌に伴い一時伊集院頼久一族の配下となったが、1420年(応永27年)、島津久豊が伊集院一族からこの城を取り返し、再び佐多氏の居城となった。その後、文禄検地等で多少の異動はあったものの、佐多氏は幕末まで知覧領主であった。しかし、11代当主・佐多久達の時に知覧城は原因不明の出火で炎上し、一国一城令発令前に知覧城は実質上廃城となった。
2017年(平成29年)4月6日、続日本100名城(198番)に選定された。
遺構・遺物
上記のように火災のために当時の建造物は全く残っていない。そのかわり、その後ほとんど手が入れられなかったため南九州中世城郭の典型例を残している。
シラス台地を利用した南北800メートル、東西900メートル、面積45万平方メートルという壮大な城郭で、大きな谷を空堀として利用し、本丸以外の曲輪は二重の深い空堀で更に囲まれていた。中核となる「本丸」の他「今城」「蔵の城」「弓場城」などの曲輪と「式部殿城」「児城」「東之栫」「西之栫」「南之栫」「伊豆殿屋敷」等の出城から成り立っていた。
近年の発掘調査で15世紀-16世紀の中国陶磁や洪武通宝、東南アジアで生産された陶器が出土した。
2025/03/29 09:08 おさむ宮内大輔
知覧城:知覧城跡を訪れました。駐車場から本丸跡までは徒歩15分ほどの山道ですが、思っていたほど険しくなく、比較的歩きやすかったです。途中、木々に囲まれた自然の中を歩くのは気持ちよく、歴史の雰囲気も感じられました。本丸跡に着くと、城跡ならではの静かな空気に包まれ、ゆっくりと時間を過ごせました。
2024/10/14 05:39 かめ蔵人頭ゆみ
知覧城:駐車場から本丸にあがる山道の入口が難しい。。案内板通りに薮を進んだら、歩行困難なほどぬかるんでいて引き返す。しばらく車道にそった舗装された歩道を行くべし。
来月度の城主争い戦況
1位 こうさん 16回
2位 カズさん左近衛少将さん 7回
3位 薩摩守さん 4回
空堀(遺構・復元物)
防空壕跡(遺構・復元物)
大手口(遺構・復元物)
城郭中心部への堀割(遺構・復元物)
弓場城・今城登り口(遺構・復元物)
今城(遺構・復元物)
今城虎口(遺構・復元物)
土塁(遺構・復元物)
弓場城(遺構・復元物)
弓場城登り口(遺構・復元物)
蔵之城(遺構・復元物)
枡形虎口(遺構・復元物)
本丸(遺構・復元物)
本丸土塁(遺構・復元物)
井戸跡?(遺構・復元物)
武家屋敷-西郷恵一郎邸(遺構・復元物)
武家屋敷-平山克己邸(遺構・復元物)
武家屋敷-平山亮一邸(遺構・復元物)
武家屋敷-佐多直忠邸(遺構・復元物)
知覧城下武家屋敷群(遺構・復元物)
武家屋敷-旧高城住宅(遺構・復元物)
武家屋敷-森重堅邸(遺構・復元物)
武家屋敷-佐多美舟邸(遺構・復元物)
武家屋敷-佐多民子邸(遺構・復元物)
知覧城趾石碑(碑・説明板)
亀甲城(周辺城郭)
知覧武家屋敷跡(寺社・史跡)
光寿寺(寺社・史跡)
伊勢神社(寺社・史跡)
特攻平和観音堂(寺社・史跡)
知覧町護国神社(寺社・史跡)
ミュージアム知覧(スタンプ)
駐車場(駐車場)
駐車場(駐車場)
知覧観光案内所(関連施設)
南九州市観光協会(関連施設)
知覧文化会館(関連施設)
登城用の竹杖(その他)
攻略数:城 家臣団:人 |
異名:個 官位:個 |
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