岩野嶽道祖城(いわのだけどうそじょう)

城郭基本情報

名称(よみ) 岩野嶽道祖城(いわのだけどうそじょう)
所在地 熊本県熊本市北区植木町大字岩野
天気情報

05/13(月) 降水確率:20%
25℃[+3]14℃[-4] 詳細

地図 マップ周辺の城NaviConYahoo!カーナビ
分類・構造 山城
築城主 小野良旨
築城年 天文年間(1532〜1555)
主な改修者 宗氏
主な城主 小野氏、宗氏
廃城年 享禄4年(1528)?
遺構 曲輪、土塁、竪堀、横堀(空堀)
記録によれば、この城は600年ほど前の南北朝天授年間に、小野良旨によって築かれたとある。

しかしその頃の城はきわめて簡単な構造であったと考えられる。

その後、宗氏が道祖城主として入城した。宗氏は託麻郡本山城(現・熊本市本山町)を預かっていたが、康正元年(1455)益城郡の大戦で一族70人が戦死するような奮戦をしたため、時の守護・菊池為邦が感状とともに山本郡岩野荘151町を授け、道祖城に移らせたものである。おそらくこの時期に現在残る道祖城の体裁が出来上がったものであろう。

この城跡は、城郭としての遺構を驚くほどよく残している。山頂部分を中心に山の中腹にかけて、土塁・竪堀・曲輪など大々的に施工され、特に山頂部周辺を取り巻く長い曲輪は約20段にも及び、防御態勢の完璧さを誇っている。

また城山の麓、馬場部落の中心部に、高さ2メートル、幅3メートルの土塁によって正方形に囲まれた場所があり、次郎丸屋敷と呼ばれている。

ここは今日、新春・星野両家の屋敷地となっているが、土塁の西側と南側には今でも空堀の一部が残っている。

宗氏に後継が途絶えた時、守護・菊池武包の子・次郎丸に名跡を継がせているので、その館跡であろう。

この次郎丸屋敷と道祖城を含む馬場全域は更に大規模な土塁と水濠(一部は三重にも及ぶ)に取り囲まれている。我々はここに城と居館が一組になった中世城郭の典型的な姿を垣間見ることが出来る。

享禄4年(1528)宗久隆退去という記事をもって道祖城の歴史の幕は下ろされるが、この時期は菊池氏の守護職廃絶の前後であり、道祖城も菊池氏とその運命を共にしたとも考えられる。

情報提供:熊本市

城郭口コミ


2023/02/27 11:12不動右馬允明王之介
岩野嶽道祖城:「ひらくち神社入口」の看板が入口です。竹山道が登城路ですが、地元の人によって通れるようにしてあります。

2021/10/29 21:37もっこす肥後守
岩野嶽道祖城:国道3号線の植木青果市場の横を道なりに進むと、左手に神社の看板と階段があります。車はそこに停められます。竹藪の道を登っていくと広めの空間があり、祠がまつってあります。

城郭攻略情報


2023/11/05 19:40
かん治部大輔
九州新幹線でとれました
2022/08/02 10:11
まるすみ商店
鹿児島本線、田原坂駅にて攻略可🤟
2022/05/11 11:35
泣かないで僕の天塩守四郎
再春荘病院前にて安定攻略だワン
2021/10/17 15:59
大蔵卿Kitaco
九州道植木出口付近にて攻略だっちゅーの。
2015/11/25 20:06
行くぞ湯布院征夷大将軍クララ姫
九州自動車道から安定攻略。

城主争い

来月度の城主争い戦況

 1位 たけしさん 65

 2位 うるふ主殿允さん 20

 3位 乃彩肥後守さん 17

 

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