内牧城(うちのまきじょう)

内牧城 投稿者:大学頭釈空流さん

城郭基本情報

名称(よみ) 内牧城(うちのまきじょう)
所在地 熊本県阿蘇市阿蘇町内牧字中町
天気情報

05/05(日) 降水確率:40%
21℃[+1]13℃[+2] 詳細

地図 マップ周辺の城NaviConYahoo!カーナビ
分類・構造 平城
築城主 阿蘇氏
築城年 天文年間(1532〜1555)
主な改修者 加藤氏
主な城主 阿蘇氏、辺春氏(阿蘇氏家臣)、加藤氏
廃城年 元和2年(1616)
遺構 曲輪、石垣、横堀(水堀)
再建建造物 碑、説明板
内牧城(うちのまきじょう)は熊本県に存在した中世・近世の平城。

古川と黒川を水濠とした典型的な平城で、内牧の町内には「本丸」「二の丸」「三の丸」の小字が残っている。

歴史 

内牧城は天文年間(1532~1555)の頃に築造されたといい、天正14年(1586)の薩摩の島津氏による阿蘇侵攻で落城したと伝えられている。

その後、豊臣秀吉の天下統一で加藤清正が肥後に入国し、家臣の加藤右馬允可重を初代とした城代3人が赴任した。江戸幕府が成立すると元和元年(1615)に一国一城令が出され、内攻城は廃城となった。

遺構 

加藤家にかわり肥後藩主となった細川家は、二の丸跡に旧阿蘇町一帯を管轄した内牧手永会所(手永とは当時の行政単位で、会所とは役所のこと)を設置した。さらに本丸跡には江戸への参勤文代で宿泊するための内牧御茶屋を設置。駐車場前の小道沿いに今も残る石垣は、内牧城あるいは内牧手永会所時代の遺構と伝えられている。

江戸時代以来、この二の丸跡は行政機能の中心であり続け、明治維新後も内牧村役場、内牧町役場、そして戦後も阿蘇町役場が置かれましたが、平成20年(2008)に阿蘇市役所内牧支所が総合センター内に移転し、その歴史の幕を閉じた。

現在は阿蘇内牧ファミリーパークとして整備され、街の中心にある憩いの場として新たな役目を担っている。

情報提供:阿蘇市教育委員会



城郭口コミ


2023/03/12 18:48龍造寺筑後守シュン
内牧城:駐車場から道を挟んだ対岸に内牧城の案内があります。

2022/11/18 16:00RED副将軍
内牧城:加藤清正家臣の加藤可重ゆかりの城跡🏯⁡オススメ度 ★★★⭐︎⭐︎⁡築城年代は不詳ですが、天文年間(1532年〜1555年)に阿蘇氏家臣の辺春盛道が築城した居城とも伝えられています。1586年に島津氏が侵攻し、辺春盛道は籠城するも落城し自刃したと云われます。豊臣秀吉が九州平定し、加藤清正が北肥後に入部すると家臣の加藤可重が城代として入城。加藤氏が3代続き、この頃に近世城郭に改修された様です。1615年の一国一城令により廃城。その後、肥後藩主の細川氏は参勤交代で宿泊するための内牧御茶屋を本丸跡に築きました。⁡見所現在は、市民体育館と公園となり遺構はほぼ消失しています。しかし、二の丸跡に石垣が残り、...

城郭攻略情報


2023/04/23 09:58
桜井太政大臣静龍
阿蘇市立体育館の駐車場入り口やないとリア攻めならず。駐車場だと攻略のみ。ソフバン。
2022/08/29 13:23
虹雷 大宰大弐 サンダー
阿蘇体育館の無料駐車場入り口、内牧城案内看板前にてリア攻め攻略です。
2022/05/11 17:29
稼ぐぞ休日給征夷大将軍クララ姫
宿泊の犬連れペンション『僕のお宿 風の音』にて馬刺しを食べながら安定攻略
2019/08/02 12:57
かわきち太政大臣
草千里からも攻略できました。
2017/02/13 00:39
稼ぐぞ休日給征夷大将軍クララ姫
内牧温泉にて安定攻略。

城主争い

来月度の城主争い戦況

 1位 風丸美濃守さん 6

 2位 ぐっち陸奥守さん 4

 3位 パパ主馬首さん 3

内牧城の周辺スポット情報

 石垣(遺構・復元物)

 内牧城本丸跡・内牧御茶屋跡説明板(碑・説明板)

 内牧城二の丸跡・内牧手永会所跡(碑・説明板)

 二辺塚城(周辺城郭)

 阿蘇神社(寺社・史跡)

 トイレ(トイレ)

 阿蘇スカイライン展望所(その他)

 

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