立谷沢城(たちやざわじょう)

立谷沢城 投稿者:征夷大将軍北海如水さん
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00時間

30

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城郭基本情報

名称(よみ) 立谷沢城(たちやざわじょう)
所在地 山形県東田川郡庄内町科沢滝ノ沢
天気情報

10/17(金) 降水確率:40%
22℃[+6]12℃[-1] 詳細

地図 マップ周辺の城NaviConYahoo!カーナビ
分類・構造 山城
築城主 安達時重?
築城年 14世紀
主な城主 安達氏
遺構 土塁、横堀(空堀)
再建建造物 なし
立谷沢城(たちやざわじょう)は山形県東田川郡庄内町科沢にあった城である。

遺構 

月山を水源とし羽黒山の東を流れる最上川の支流、立谷沢川沿いに位置する。

ただし、『日本城郭大系』によるとその所在地は「科沢説」「木ノ沢説」など複数あり、いずれの地にも空堀や土塁の遺構が残るという。

『日本城郭大系』の「山形県城郭分布図」では、立谷沢城の他に立谷沢川流域には尼公館を記すのみであるが、『山形県遺跡地図』では木の沢城や中嶋館など約5箇所の城館を認めており、これらは『日本城郭大系』のいう各地に残る遺構が近年になって別の城館に比定されたか、または便宜上の名称を付与されたものと考えられる。なお『山形県遺跡地図』では、庄内町科沢滝ノ沢の立谷沢川右岸丘陵部を立谷沢城の所在地としている。

他に『日本城郭大系』では、立谷沢川流域の地形が築城条件に恵まれているため、それぞれの城館の集合体を“立谷沢城”と総称したのではないかとする説も紹介されている。

歴史 

南北朝争乱の只中にあった貞和3年(正平2、1347)、奥州を追われた南朝方の北畠顕信(北畠顕家の弟)が守永親王を奉じて出羽国へ入り、羽黒山富田坊衆徒が固めていた立谷沢城に拠った。

翌貞和4年(正平3、1348)になると、北朝方である結城氏らが大軍をもって立谷沢城へと攻め寄せた。顕信は天険を活かしてよく戦ったが最後は力及ばず、城は北朝方によって攻略された。

落城後、顕信は城から落ち延び、延文元年(正平11、1356)藤島城(山形県鶴岡市)で再び挙兵するも敗れ、これにより庄内地方の南朝方勢力は壊滅したという。

交通 

・JR東日本陸羽西線(奥の細道最上川ライン)清川駅から車で約30分

参考文献 

・『山形県埋蔵文化財調査報告書 第25集 庄内藤島城跡』山形県教育委員会、1979年10月。
・『日本城郭大系 第3巻』新人物往来社、1980年。
・『山形県遺跡地図』山形県教育庁文化財保護推進課、2010年3月。


城郭口コミ


城郭攻略情報


2025/09/25 15:29
摂政 大神信貫
国道47号線(JR陸羽西線清川→高屋駅間)にて攻略!攻略地点は清川寄り。代行バス乗車。(auiPhone16)
2025/06/12 15:31
ぽんつく
工事でバス代行でしたが、JR陸羽西線「清川」→「高屋」駅中間辺りの、ほぼ線路と同じ所を走る国道47号線で(σ´∀`)σゲッツ!!
2024/09/01 22:41
沼田乃豆腐屋【一❉】
R345(庄内こばえちゃライン)薬王堂 鶴岡藤島店付近にて、藤島城、平形館、横山城、狩川城、立谷沢城が5城同時に攻略可能。
2023/07/30 16:29
あざらし肥前守
公共交通:一例JR奥の細道最上川ライン新庄〜余目で。国道トンネル工事で、❜24中まで代行バスが運行。(❜19・7攻略)
2021/12/31 11:30
兵部卿ケロロ
羽黒山神社⛩へ向かうバスのなかで。鳥居辺りです。

城主争い

来月度の城主争い戦況

 1位 ゆきぽん宮内少輔さん 35

 2位 尾張守卍丸さん 35

 3位 はむはむさん 29

立谷沢城の周辺スポット情報

 蝦夷館(周辺城郭)

 科沢館(周辺城郭)

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