高擶城(たかだまじょう)

高擶城 投稿者:あきごん釆女佑さん

城郭基本情報

名称(よみ) 高擶城(たかだまじょう)
通称・別名 (高擶陣屋)
所在地 山形県天童市高擶
天気情報

05/04(土) 降水確率:0%
27℃[+3]5℃[±0] 詳細

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問い合わせ 山形県文化財保護推進課[電話
分類・構造 輪郭式平城
築城主 高擶義直
築城年 応永年間(1394〜1428)
主な城主 高擶氏、天童氏、斎藤伊予守(最上氏家臣)
廃城年 嘉永元年(1848)
遺構 水堀跡
再建建造物 石碑、説明板
山形盆地のほぼ中央、天童市南西部に位置し、今なお集落そのものが方形を呈し、その面影をしのぶことが出来る。

築城は、応永年間ともいわれるが、現在の形になったのは、文明年間の城郭整備によると考えられる。城の中央に守り本尊の大日堂(皇太神社)を設け、外郭には寺院を配置している。

城の整備時には、東、南、西を重要視しており、永正の乱や最上内紛、最上天童合戦に備えてであろう。

城の形態は、主郭を中心に外堀を含めると4重の水堀からなる輪郭式である。道路は、すべて鍵型路、丁字路、食い違い、屈曲路からなり、北側は、京川を改修して堀の役割をさせている。主郭の位置は定かではないが、元和の検地帳に字本丸とあり、6,504坪の面積の記載があることから、現在の楯の内のほぼ中央部であったと思われる。

虎口は、東に大手を、西に勝手口を設け、西楯と中小路の南と西に三の郭から別れる郭があり、そこには家臣たちが居住したと伝えられている。堀の幅は二の郭を回るもので幅8~14間で堀底には切り石を敷いたところもあるといわれている。

この城は、はじめ最上領の北を押さえるための軍事上の城であったが、その後天童氏の隠居城となったり、江戸時代初期には、最上家臣斎藤伊予守が5,500石で配置になり、政治的あるいは居城的な正確であったろう。

弘化4年には、館林藩高擶陣屋が置かれ、嘉永元年に廃止された。

情報提供:山形県教育委員会



城郭口コミ


2011/12/03 17:27三沢出羽守伊兵衛
高擶城:かつては、四重の堀がある立派な城だったらしい。今は堀は埋められ、遺構もないようですが、鍵形・丁字路などの道路は城跡の名残らしい。本丸跡は、皇太神社あたりで、近くのあかつき公園に築城600年の記念碑がありました。城址の石碑と案内板がある楯之内公民館は、ニノ丸大手門付近とのこと。

城郭攻略情報


2023/07/30 02:32
あざらし肥前守
公共交通:一例JR奥羽本線から。(❜19・7攻略)
2020/04/05 15:19
下総守藤次郎
高擶駅にて二城同時攻略!
2019/06/02 13:46
かわきち太政大臣
奥羽本線漆山~高擶にて攻略できました。漆山では不可。
2015/05/03 05:44
武蔵守義理庵
R13とr24との交差点では攻略出来ず。r24を西へ行ったr22とr24との交差点にて攻略(1.5km)

城主争い

来月度の城主争い戦況

 1位 左馬頭官兵衛さん 9

 2位 風音院漂泊戸斉さん 6

 3位 へくさん 5

 

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