※この城郭は2024年4月6日に名称と位置が変更となりました。
松岳城 (まつたけじょう)は、長崎県東彼杵郡東彼杵町三根郷にあった日本の城。
標高223mの松岳山にある中世の古城跡です。町内全域大村まで見渡し、大村湾を眼下に見下ろす要害の山城で、彼杵氏の居城であったと思われますが、いつ、誰が築いた城であるか伝わっていません。
立地と遺構
郷村記に「三根郷妙法寺境内後ろの高嶺にあり、番神岳続きで麓よりおよそ655m、いたって険しい。頂上の広さ東西330m南北220m、本丸180坪・二の丸180坪。北東に石垣があり、高さ5.5m・横11~13m四方の枡形の石垣が残っている。西南は崩れて形だけある。」と記されています。
歴史
彼杵郡の中心であり、嬉野に通ずる西肥前の重要拠点でしたので、戦国時代には何回も戦争がありました。
戦国時代の初め文明元年(1469)、彼杵遠江守清原清男が対馬の宗氏を通じて朝鮮と交易しました。しかし、そのころ島原の有馬貴澄の勢いが強くなり攻めてきました。大村純伊は敗れて6年間流浪しますが、彼杵氏はどうしたのか分からなくなりました。松岳城には皆吉左馬之を大将として有馬勢がおりました。
文明12年(1480)加々良島に隠れいていた大村純伊は、援軍があって8月13日島田に上陸し、14日有馬勢と激戦し、15日松岳城を攻め落としました。この戦を記念して、昭和13年立神の国道端に戦蹟碑が建てられました。
それから、およそ80年後の永禄・天正(1563~1580)のころ、武雄城主後藤貴明がキリシタン大名大村純忠を幾度となく攻め、松岳城の争奪戦が繰り返され戦場となりました。
情報提供:東彼杵町教育委員会