津守館(つもりやかた)

津守館 投稿者:副将軍お城エリコさん

城郭基本情報

名称(よみ) 津守館(つもりやかた)
通称・別名 松平忠直居館
所在地 大分県大分市津守
天気情報

11/22(金) 降水確率:20%
18℃[±0]9℃[-2] 詳細

地図 マップ周辺の城NaviConYahoo!カーナビ
問い合わせ 一般社団法人大分市観光協会[電話
分類・構造 平城
築城主 松平忠直
築城年 寛永3年(1626)
主な城主 松平忠直
遺構 消滅
再建建造物 石碑、説明板
津守館(つもりやかた)は大分県大分市津守にあった松平忠直(一伯)の居館である。そのことから松平忠直居館ともいわれる。

遺構 

大分市街地南部、大分川の南東の河岸段丘に位置する平城(居館)である。

明治頃まで館周辺は竹藪に覆われ『一伯公伝記』に書かれた「四方大堀」の名残とも考えられる泥沼が残っていたとされるが、現在は宅地化によって遺構は失われている。JR滝尾駅から西に向かって延びる道路沿いの居館跡に建つ「史蹟 松平忠直居館址」の石碑と説明板が往時を偲ばせるのみである。

歴史 

館主である松平忠直は結城秀康の子で徳川家康の孫にあたる人物で、文禄4年(1595)に生まれた。大坂の陣で真田信繁(幸村)を討ち取る大功を上げたものの、戦後の論功行賞への不満から乱行が目立つようになり(諸説あり)、そのことから元和9年(1623)に幕府から隠居を命じられ竹中氏の豊後府内藩へ配流された。

忠直ははじめ萩原(現在の大分市萩原)に館を構えたが、3年後に津守に居館が造られ移り住んだ。萩原では配流前の忠直を思わせる乱行の伝承も残るが、津守に移った後は次第に神仏を信仰するようになり、同地の熊野神社や霊泉寺などへの寄進を行い、慶安3年(1650)に同地で没した。

現在、熊野神社がある碇山全体が碇山公園として整備され、神社には松平忠直の遺品『熊野権現縁起絵巻(全13巻)』が伝わり、大分市の有形文化財に指定されている。また、大分市王子西町にある松平忠直公廟は本堂、庫裏などともに国登録有形文化財に指定されている。

交通 

・JR九州豊肥本線滝尾駅から徒歩で約5分

参考文献 

・『大分市文化財地図』大分市教育委員会、2013年7月。
・『日本城郭大系 第16巻』新人物往来社、1980年。
・『大分今昔』大分合同新聞社、2008年1月。


城郭口コミ


2022/03/18 11:34【猛】源九郎豊前守牛若丸
松岡城:「日本城郭大系」によると、弘安の頃、大友氏に属する松岡左近将監の居城で、その後に松岡十郎利綱の名があるようです。康安2年、南朝方の菊池武光に追われた大宰少弐入道頼尚がこの城に拠ったが、菊池勢に攻められ、翌貞治2年、松岡城は落城し、少弐頼尚は四国に敗走した、とありました。

2022/03/18 11:25【猛】源九郎豊前守牛若丸
桑本館:「大分の中世城館」によると、幅10mの堀で囲まれた一辺約50mの方形館とありました。

城郭攻略情報


2022/05/02 21:33
かわきち太政大臣
久大本線古国府駅付近から攻略できました。
2022/02/18 09:18
のり松201902
以前と較べると、かなりエリアが、拡がってるね
2021/11/23 20:08
十二代目竹屋作兵衛
国道10号線と国道210号線の宮崎交差点付近にて攻略出来ました
2021/03/24 19:41
淡路守真吉
国道10号で攻略可
2018/10/31 10:26
あゆぱ式部卿
九大本線古国府駅ー大分駅間のトンネルの大分駅側出口付近で攻略。

城主争い

来月度の城主争い戦況

 1位 キタジーさん 85

 2位 山縣三郎右兵衛尉昌景さん 46

 3位 Mr.Princeさん 46

津守館の周辺スポット情報

 真田栗毛の墓(碑・説明板)

 小岳城(周辺城郭)

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