猫尾城(ねこおじょう)

猫尾城 投稿者:ゆう筑後守さん

城郭基本情報

名称(よみ) 猫尾城(ねこおじょう)
通称・別名 黒木城
所在地 福岡県八女市黒木町北木屋
天気情報

04/28(日) 降水確率:40%
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問い合わせ 八女市文化振興課文化係[電話
分類・構造 山城
築城主 源助能
築城年 文治元年(1185)
主な改修者 田中吉政
主な城主 黒木(源)氏、筑紫氏、辻氏(田中氏家臣)
廃城年 元和元年(1615)
遺構 曲輪、石垣、土塁、堀切、竪堀、武者走り、犬走り、櫓跡、馬場、井戸
指定文化財 県史跡(猫尾城跡)
再建建造物 石碑

概要 

黒木バス停より東をのぞむ。国道442号線上にまたがる、小冨士山形の山が、猫尾城(黒木城)跡である。

「黒木のフジ」棚下をすぎ、調麓橋(ちょうろくばし)を渡ると、中世の侍小路小字陣の内で、城主や重臣の居館があった所である。(現在は黒木中学校や民家がある)

城跡は矢部川と同支流笠原川との合流する処で、東より西へ半島状に突き出た猫山にある。

本丸は標高240メートルの山頂にあり、南北56メートル、東西28メートルの広さをもつ。周囲は石垣と土塁で、武者走り、馬踏、犬走り等も認められる。本丸の東一帯は1メートル余の高処となり、中央に戦闘中の城主の居館跡(現彦山神社)南に政所あと、南端と北端に櫓跡がある。本丸の正面入口(西)には頑丈な門もあったと思われ、下左の石垣は、厚さ40センチ長さ60センチ余の粘板岩(ねんばんがん)の算木積の野面積(占い用の角棒状になっている自然石で積んだ石垣)この左上に、最も高い重要な櫓跡がある。古書に記す「3台の櫓跡今なお存す」の確認できる。

二の丸は本丸の西下81メートルの所にあり、南北30メートル、東西30メートルの広さで、現在、薬師堂・十三佛など信仰の場となっている。

馬場は、本丸と二の丸の間にあり、南北18メートル、東西40メートルで、駐車場等になっている。

三の丸は、本丸の東(裏側)下の空堀(大堀切―南北200メートル、東西7メートル)それより更に東10メートルの林の中にある。南北18メートル、東西40メートル。

二の丸から西、山麓(陣の内・黒木中学校)に通ずる大きく高い土塁(曲輪)が、40メートル以上現存している。これは直線の土塁で、戦闘準備(武器弾薬、食糧など)のとき上下する通路である。二間長屋跡は不明。他に勢揃いする馬場、軍馬を走らせるコース、井戸などは現存する。

現存する城跡は、天正12年(1584)9月こけら落成後、約400数年後の山城跡である。山城は「結の城」で、守勢の城、最後は篭城(敵に囲まれて城にたてこもる)の場となる。

由来 

猫尾城の鼻祖、黒木大蔵大輔源助能が、大隅国根占(鹿児島県肝付郡大根占町)から、筑後国上妻郡黒木郷に移ったと伝えられるが、時期は正確にされていない。

しかし、大根占町の古文書、徳大寺文書、桧室文書、黒木氏、木屋氏家譜により、仁安2年(1167)と推考される。

大根占町、最古の文献に「治暦5年(1069)正月9日、藤原頼光所領を子頼経に与えた分配帳案文」がある。次に「藤原鎌足を祖とする名門富田義光、仁安1年(1166)大根寝院の弁済使(税としての納米を清算する役人)になり、島浜の高城を居城とす」との文献がある。藤原頼光と富田義光との間、約100年、文献なしとされている。この不明の100か年間の高城城主は、源助能の祖先三代である。

(一)天承1年(1131)山門郡瀬高荘が上・下二荘となる。太宰師藤原俊忠の家領となる。
(二)仁安2年(1167)このころ高瀬荘、預所職(あずかりしょしき)(代官職)につき争論する。後徳大寺家これを預る。(一)(二)は正史。

このとき、助能の祖、源高能が京都御所に仕え、徳大寺家と関係があったので、この縁により、頼まれて代官となり、大根占から矢部川の上流、上妻郡黒木郷に移ったと推考される。

助能は父源根占藤四郎能永と黒木郷に移り、治水、産業につとめ住民の信頼を受ける代官となった。

文永11年(1274)元軍、博多・今津に侵攻したとき黒木・星野・川崎軍らとこれを迎え討ち、建治2年(1276)元軍の上陸を阻止するため、箱崎海岸に石塁を築きに出る。弘安4年(1281)7月5日、木屋地頭香西小太郎度景、弟広度、元軍の兵船に乗り移り奮闘する。広度は元軍と組み合い海中に入る。親類、家臣、郎従も多く戦死する。

南北朝時代は、延元元年(1336)8月、後醍醐天皇の綸旨をいただき、天皇方(南朝)につき終始一貫、懐良親王良成親王を奉じ、五條氏と共に誠忠をつくす。この間、猫尾城は、延元元年3月17日、文中3年(1374)11月16日、天授4年(1378)9月8日、元中8年(1391)10月、一時北朝方に攻め落とされ敵の城となる。

戦国時代は、大たい大友氏に属していたが、天正7年(1579)佐賀の龍造寺氏に攻略される。天正12年(1584)9月5日大分の大友氏に攻められ、黒木兵庫頭家永は本丸居館の2階で切腹し落城となる。慶長6年(1601)辻勘兵衛尉黒木城代となる。元和元年(1615)一国一城令で、長い歴史を秘める猫尾城、城主のいない廃城となる。

情報提供:八女市教育委員会教育部文化課



城郭口コミ


2024/02/17 18:56まるく
猫尾城:争いがあったとは思えない程、物静かな場所でした。石碑が当時の事を物語っていた気がします。

2023/09/15 11:51もくで筑前守ふみふみ
猫尾城:最寄りの黒木中バス停からすぐに登城口(登山口?)。運動不足体力無しの私でも30分で登城。本丸横トイレ前にある看板(公園地図)によると、北斜面にも道があるようだったのでチャレンジしましたが、途中で草や土(雨水で流された奴と、猪が掘り返したか山芋掘りか)や蜘蛛の巣に行く手を阻まれ、引き返す羽目に。要注意です。

城郭攻略情報


2022/03/27 14:00
cookey式部卿
湯辺田バス停
2021/05/03 01:37
みーしか信濃守
星野製茶園をもう少し西に進んだ辺りで攻略。距離7.2kmでした。
2021/03/04 18:47
副将軍こうちゃん播守
JR鹿児島本線・羽犬塚駅前から堀川バス・羽矢線に乗車して「犬山」→「湯辺田」バス停間で攻略!!片道運賃¥640也!!
2020/10/03 20:55
陸中守@ポンコ2…①
コメリハード&八女上陽店駐車場にて。
2019/06/20 15:13
越後守スルッと
うきは方面からは峠をショートカットするトンネルを出たところの星野製茶園付近で可能

城主争い

来月度の城主争い戦況

 1位 まつ隼人佑さん 161

 2位 まいまいさん 147

 3位 こまこまさん 116

猫尾城の周辺スポット情報

 本丸(遺構・復元物)

 城山公園案内地図(碑・説明板)

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 高牟礼城(周辺城郭)

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 鷹尾城(周辺城郭)

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 トイレ(トイレ)

 駐車場(駐車場)

 

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