猫尾城(ねこおじょう)

猫尾城 投稿者:はやぶささん
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城郭基本情報

名称(よみ) 猫尾城(ねこおじょう)
通称・別名 黒木城
所在地 福岡県八女市黒木町北木屋
天気情報

11/17(月) 降水確率:30%
19℃[-3]9℃[+1] 詳細

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問い合わせ 八女市文化振興課文化係[電話
分類・構造 山城
築城主 源助能
築城年 文治元年(1185)
主な改修者 田中吉政
主な城主 黒木(源)氏、筑紫氏、辻氏(田中氏家臣)
廃城年 元和元年(1615)
遺構 曲輪、石垣、土塁、堀切、竪堀、武者走り、犬走り、櫓跡、馬場、井戸
指定文化財 県史跡(猫尾城跡)
再建建造物 石碑

概要 

黒木バス停より東をのぞむ。国道442号線上にまたがる、小冨士山形の山が、猫尾城(黒木城)跡である。

「黒木のフジ」棚下をすぎ、調麓橋(ちょうろくばし)を渡ると、中世の侍小路小字陣の内で、城主や重臣の居館があった所である。(現在は黒木中学校や民家がある)

城跡は矢部川と同支流笠原川との合流する処で、東より西へ半島状に突き出た猫山にある。

本丸は標高240メートルの山頂にあり、南北56メートル、東西28メートルの広さをもつ。周囲は石垣と土塁で、武者走り、馬踏、犬走り等も認められる。本丸の東一帯は1メートル余の高処となり、中央に戦闘中の城主の居館跡(現彦山神社)南に政所あと、南端と北端に櫓跡がある。本丸の正面入口(西)には頑丈な門もあったと思われ、下左の石垣は、厚さ40センチ長さ60センチ余の粘板岩(ねんばんがん)の算木積の野面積(占い用の角棒状になっている自然石で積んだ石垣)この左上に、最も高い重要な櫓跡がある。古書に記す「3台の櫓跡今なお存す」の確認できる。

二の丸は本丸の西下81メートルの所にあり、南北30メートル、東西30メートルの広さで、現在、薬師堂・十三佛など信仰の場となっている。

馬場は、本丸と二の丸の間にあり、南北18メートル、東西40メートルで、駐車場等になっている。

三の丸は、本丸の東(裏側)下の空堀(大堀切―南北200メートル、東西7メートル)それより更に東10メートルの林の中にある。南北18メートル、東西40メートル。

二の丸から西、山麓(陣の内・黒木中学校)に通ずる大きく高い土塁(曲輪)が、40メートル以上現存している。これは直線の土塁で、戦闘準備(武器弾薬、食糧など)のとき上下する通路である。二間長屋跡は不明。他に勢揃いする馬場、軍馬を走らせるコース、井戸などは現存する。

現存する城跡は、天正12年(1584)9月こけら落成後、約400数年後の山城跡である。山城は「結の城」で、守勢の城、最後は篭城(敵に囲まれて城にたてこもる)の場となる。

由来 

猫尾城の鼻祖、黒木大蔵大輔源助能が、大隅国根占(鹿児島県肝付郡大根占町)から、筑後国上妻郡黒木郷に移ったと伝えられるが、時期は正確にされていない。

しかし、大根占町の古文書、徳大寺文書、桧室文書、黒木氏、木屋氏家譜により、仁安2年(1167)と推考される。

大根占町、最古の文献に「治暦5年(1069)正月9日、藤原頼光所領を子頼経に与えた分配帳案文」がある。次に「藤原鎌足を祖とする名門富田義光、仁安1年(1166)大根寝院の弁済使(税としての納米を清算する役人)になり、島浜の高城を居城とす」との文献がある。藤原頼光と富田義光との間、約100年、文献なしとされている。この不明の100か年間の高城城主は、源助能の祖先三代である。

(一)天承1年(1131)山門郡瀬高荘が上・下二荘となる。太宰師藤原俊忠の家領となる。
(二)仁安2年(1167)このころ高瀬荘、預所職(あずかりしょしき)(代官職)につき争論する。後徳大寺家これを預る。(一)(二)は正史。

このとき、助能の祖、源高能が京都御所に仕え、徳大寺家と関係があったので、この縁により、頼まれて代官となり、大根占から矢部川の上流、上妻郡黒木郷に移ったと推考される。

助能は父源根占藤四郎能永と黒木郷に移り、治水、産業につとめ住民の信頼を受ける代官となった。

文永11年(1274)元軍、博多・今津に侵攻したとき黒木・星野・川崎軍らとこれを迎え討ち、建治2年(1276)元軍の上陸を阻止するため、箱崎海岸に石塁を築きに出る。弘安4年(1281)7月5日、木屋地頭香西小太郎度景、弟広度、元軍の兵船に乗り移り奮闘する。広度は元軍と組み合い海中に入る。親類、家臣、郎従も多く戦死する。

南北朝時代は、延元元年(1336)8月、後醍醐天皇の綸旨をいただき、天皇方(南朝)につき終始一貫、懐良親王良成親王を奉じ、五條氏と共に誠忠をつくす。この間、猫尾城は、延元元年3月17日、文中3年(1374)11月16日、天授4年(1378)9月8日、元中8年(1391)10月、一時北朝方に攻め落とされ敵の城となる。

戦国時代は、大たい大友氏に属していたが、天正7年(1579)佐賀の龍造寺氏に攻略される。天正12年(1584)9月5日大分の大友氏に攻められ、黒木兵庫頭家永は本丸居館の2階で切腹し落城となる。慶長6年(1601)辻勘兵衛尉黒木城代となる。元和元年(1615)一国一城令で、長い歴史を秘める猫尾城、城主のいない廃城となる。

情報提供:八女市教育委員会教育部文化課



城郭口コミ


2024/06/29 02:56ᴿᴱᴰ 副将軍
鷹尾城:堀切、横堀、畝状竪堀群が残る犬尾城の支城🏯⁡オススメ度 ★★★★⭐︎⁡築城年代は不詳。犬尾城の支城として河崎氏によって築かれたと云われます。河崎氏は、猫尾城主である黒木助能の嫡男である定宗が1191年に猫尾城の支城として犬尾城を築いて居城とし河崎氏を称したのが始まりとされます。河崎氏は大友氏に属し、1579年に龍造寺隆信の侵攻により犬尾城は落城するも、島津氏の協力を得て犬尾城を修築。1587年、豊臣秀吉による九州征伐において抵抗するも敗れて犬尾城は廃城。近隣の鷹尾城も同様の歴史を辿ったと思われます。⁡見所犬尾城から南西へ約500m尾根を進んだ別峰に築かれています。最高所の主郭は東西に長く、大き...

2024/02/17 18:56まるく
猫尾城:争いがあったとは思えない程、物静かな場所でした。石碑が当時の事を物語っていた気がします。

城郭攻略情報


2024/05/16 05:27
しげぞー摂政
県道13号線を熊本方面から北上し、県境を越えた後、1キロ程で落城
2024/05/05 17:41
副将軍ヤソ
北西から県道84号、「㈱フクナン開発八女中間処理場」あたりで攻略。西牟田駅から東へ進んでください。(北から攻略しようとしたら、この時道路復旧工事で通行止めでした。)
2022/03/27 14:00
cookey式部卿
湯辺田バス停
2021/05/03 01:37
みーしか備前守
星野製茶園をもう少し西に進んだ辺りで攻略。距離7.2kmでした。
2021/03/04 18:47
播磨守南のこうちゃん✨️
JR鹿児島本線・羽犬塚駅前から堀川バス・羽矢線に乗車して「犬山」→「湯辺田」バス停間で攻略!!片道運賃¥640也!!

城主争い

来月度の城主争い戦況

 1位 ショココさん 91

 2位 まつ隼人佑さん 56

 3位 ティト日向守さん 13

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