荒砥城(あらとじょう)

 
荒砥城 投稿者:出羽守最上丸さん
icon

00時間

20

icon

城郭基本情報

名称(よみ) 荒砥城(あらとじょう)
通称・別名 八乙女城
所在地 山形県西置賜郡白鷹町大字荒砥甲字盾廻1092
天気情報

11/19(水) 降水確率:40%
5℃[-2]0℃[-2] 詳細

地図 マップ周辺の城NaviConYahoo!カーナビ
分類・構造 平山城
築城主 荒川清泰
築城年 永長年間(1096〜1097)
主な改修者 馬場将監
主な城主 荒川氏、大立目氏、水野三左衛門(蒲生氏家臣)、泉沢氏(上杉氏家臣)
遺構 曲輪、土塁、横堀(空堀)、横堀(水堀)、帯曲輪、井戸跡
指定文化財 町史跡(荒砥城址)
再建建造物 碑、説明板
最上川の右岸、河岸段丘と白鷹山丘陵の末端につながり、標高約210メートル、比高約30メートルの独立丘を利用した平山城で、別称を「八乙女城」とも呼ぶ。城域内には八乙女八幡神社があり、寛治元年(1087)源義家が京都の石清水八幡宮を勧請し、石灘監物が建立したものと伝えられている。その後、荒川次郎清泰が永長年間(1096~97)に城を築き、南北朝末期の元中年間(1384~92)には馬場将監が堀をめぐらし、城郭として整備したものとされている。

伊達家文書によれば、戦国期の荒砥郷には荒砥、桑島、松岡、大立目ら各豪族の所領があったが、荒砥城主としては大立目氏が確認できる。置賜と村山の境界に位置する荒砥城は、最上領に接する伊達領国の一大要害として史料にも度々現れ、天正2年(1574)から始まる最上義光との本格的な戦いでは、一時伊達輝宗の本陣も設けられている。天正16年4月20日には、鹿俣、大窪、大石らの伊達家「御代官衆」の手によって「要害普請」が行われており、戦国末期になると在番制による城将が派遣されていたものと思われる。

天正19年の伊達氏の移封後は、蒲生氏郷の家臣・水野三左衛門が在城し、また慶長5年の上杉氏と最上氏の合戦においても、直江兼続らの上杉勢の主力は、荒砥城を兵站基地として畑谷城を攻め、山形方面へと向かう作戦であった。東方の金剛山館や最上川対岸の鮎貝城とも連携して、ますます要害としての機能を高めたものと考えられる。主郭部は南北に約100、東西に約150メートルで最長部と八幡神社の境内地とに二分され、虎口と思われるところから入城したものと考えられる。南側には土塁の名残もある。帯曲輪と空堀は周囲をめぐり、西側は急峻な切崖で防御されている。東側には水濠の名残が残っている。現在、公民館や老人福祉センターとして利用されているもう一つの曲輪は、江戸時代は荒砥御役屋として、明治以降は荒砥小学校の敷地として拡張されているが、長岡文書から推定すると、もともとは城全体を帯曲輪と堀で囲っていたものと思われる。別な小曲輪には「蛇井戸」と呼ばれる井戸があるが、有事の際にはそこから水が溢れて空堀を水で満たし、城を守ったという伝説も残っている。

明治初年の地籍図や、付近に見られる「殿町」「古城廻り」「仲町」などの地名から、家中侍屋敷地のいわば三の丸と町家も含めた総構えの城郭であったと思われ、東から北側にかけては、草木沢川が外堀の機能を果たし、金鐘寺付近にも堅固な櫓などの施設があったものと思われる。「上町」「新町」まで含めれば、東西750メートル、南北500メートルの規模となり、さらに現在県立荒砥高校や町立病院の建つ、南側の丘陵部にも城館址を想定すれば、貝生川を南の外堀とする広大な城域になり、今後の調査に期待したい。

情報提供:山形県教育委員会



城郭口コミ


2025/07/20 23:48さよなら出羽守急行津軽
荒砥城:山形鉄道荒砥駅前から、消防団の倉庫の脇の道(8枚目)を歩き、右に曲がる(4枚目)と右手に八乙女神社が見えてきます。神社の参道(5枚目)の前に駐車場がありますが、裏にまわった所の神社の脇にあるコミュニティセンターにも車は停められそうです。神社の参道の途中に荒砥城跡の標柱(6枚目)があります。訪問した日は、神社(1枚目)は神主が所用で不在のようで、社務所(3枚目)やトイレが使用できない状態でした。境内には八乙女種まき桜(2枚目)もあります。神社の向かって左側にある、本丸跡(7枚目)には特に説明板はありませんでした。

2024/08/12 21:37国府左京大夫城介
鮎貝城:伊達氏や上杉氏により対最上氏に活用された城【歴史】応永3年(1396)に、鮎貝成宗が築城したと伝わる。鮎貝氏は伊達氏と同族ということもあり、「一家(上座)」として厚遇され、独自の所領と家臣団を有すことが出来た。天文の乱では、当初稙宗方に付くも、乱後は晴宗から所領を安堵されている。天正2年(1574)に起きた天正最上の乱においては、鮎貝宗重(盛次)は、伊達輝宗に従い、最上攻めに参陣している。宗重は若くして宗信に家督を譲り、自身は米沢城下に屋敷を構えてた。政宗に家督を譲った輝宗は、隠居御殿が出来るまで、宗重の館で何日か過ごしている。しかし、天正15年(1585)10月に、鮎川宗信が最上義光に内応し...

城郭攻略情報


2025/09/26 14:04
太閤 大神信貫
山交バス長井線滝野にて攻略!
2025/09/23 07:33
能登守丸に澤瀉
国道348号で東より向かいました。白鷲トンネル手前で攻略できました。
2023/07/30 02:06
あざらし肥前守
公共交通:一例長井郵便局前〜山交バスC5系統で山形駅に行く途中。(❜19・7攻略)
2021/10/23 12:46
山城守ポンコ2…
山形市から国道348号で向かう場合、白鷹トンネル出てもdocomo電波悪く、少し荒砥よりの白鷹山登山口(細野口)まで行って攻略
2021/08/24 11:27
うべちる征夷大将軍
先人と同じく『羽前成田駅』にて。

城主争い

来月度の城主争い戦況

 1位 衛藤美彩さん 27

 2位 自然縫殿助満喫さん 14

 3位 ガンマ大宰大弐GTPさん 4

荒砥城の周辺スポット情報

 帯曲輪(遺構・復元物)

 蛇井戸跡(遺構・復元物)

 空壕跡(遺構・復元物)

 残存水堀(遺構・復元物)

 二の水堀(遺構・復元物)

 幸寿ヶ原古戦場跡碑(碑・説明板)

 荒砥城址碑(碑・説明板)

 鮎貝城(周辺城郭)

 杉沢館(周辺城郭)

 塩田城(周辺城郭)

 菖蒲館(周辺城郭)

 高岡館(周辺城郭)

 大瀬館(周辺城郭)

 金剛山館(周辺城郭)

 荒砥館(周辺城郭)

 黒藤館(周辺城郭)

 黒藤下館(周辺城郭)

 小屋館(周辺城郭)

 大野館(周辺城郭)

 沼之平城館(周辺城郭)

 大峠砦(周辺城郭)

 中屋敷館(周辺城郭)

 廻館(周辺城郭)

 大石館(周辺城郭)

 岩館(周辺城郭)

 馬隠曲輪砦(周辺城郭)

 古お薬師館(周辺城郭)

 塔の上館(周辺城郭)

 横沢山館(周辺城郭)

 亀ヶ森砦(周辺城郭)

 虚空蔵砦(周辺城郭)

 生僧入館(周辺城郭)

 浅立館(周辺城郭)

 西向館(周辺城郭)

 高平館(周辺城郭)

 政所館(周辺城郭)

 横越北館(周辺城郭)

 横越館(周辺城郭)

 高玉本館(周辺城郭)

 備後館(周辺城郭)

 八幡館(周辺城郭)

 金剛山砦(周辺城郭)

 高玉城(高玉館)(周辺城郭)

 小田館(周辺城郭)

 深沢館(周辺城郭)

 色摩館(周辺城郭)

 四ッ谷館(周辺城郭)

 長者館(周辺城郭)

 山口館(周辺城郭)

 掃部館(周辺城郭)

 平吹館(周辺城郭)

 大屋敷(周辺城郭)

 手塚館(周辺城郭)

 勧進代山館(周辺城郭)

 金田館(周辺城郭)

 戸根林館(戸根林楯)(周辺城郭)

 草岡館(周辺城郭)

 白山森館(周辺城郭)

 小屋館A(周辺城郭)

 小屋館B(周辺城郭)

 小屋館C(周辺城郭)

 南鴨石館(周辺城郭)

 寺泉古館(周辺城郭)

 飯沢館(周辺城郭)

 飯沢北館(周辺城郭)

 成田館(周辺城郭)

 八幡館(周辺城郭)

 八幡神社(寺社・史跡)

 駐車場(駐車場)

 

to_top
気に入った!しました