名称(よみ) | 荒砥城(あらとじょう) |
通称・別名 | 八乙女城 |
所在地 | 山形県西置賜郡白鷹町大字荒砥甲字盾廻1092 |
天気情報 |
08/02(土) 降水確率:40% |
地図 | マップ/周辺の城/NaviCon |
分類・構造 | 平山城 |
築城主 | 荒川清泰 |
築城年 | 永長年間(1096〜1097) |
主な改修者 | 馬場将監 |
主な城主 | 荒川氏、大立目氏、水野三左衛門(蒲生氏家臣)、泉沢氏(上杉氏家臣) |
遺構 | 曲輪、土塁、横堀(空堀)、横堀(水堀)、帯曲輪、井戸跡 |
指定文化財 | 町史跡(荒砥城址) |
再建建造物 | 碑、説明板 |
2025/07/20 23:48 さよなら出羽守急行津軽
荒砥城:山形鉄道荒砥駅前から、消防団の倉庫の脇の道(8枚目)を歩き、右に曲がる(4枚目)と右手に八乙女神社が見えてきます。神社の参道(5枚目)の前に駐車場がありますが、裏にまわった所の神社の脇にあるコミュニティセンターにも車は停められそうです。神社の参道の途中に荒砥城跡の標柱(6枚目)があります。訪問した日は、神社(1枚目)は神主が所用で不在のようで、社務所(3枚目)やトイレが使用できない状態でした。境内には八乙女種まき桜(2枚目)もあります。神社の向かって左側にある、本丸跡(7枚目)には特に説明板はありませんでした。
2024/08/12 21:37 国府左京大夫城介_③⑨芸因但
鮎貝城:伊達氏や上杉氏により対最上氏に活用された城【歴史】応永3年(1396)に、鮎貝成宗が築城したと伝わる。鮎貝氏は伊達氏と同族ということもあり、「一家(上座)」として厚遇され、独自の所領と家臣団を有すことが出来た。天文の乱では、当初稙宗方に付くも、乱後は晴宗から所領を安堵されている。天正2年(1574)に起きた天正最上の乱においては、鮎貝宗重(盛次)は、伊達輝宗に従い、最上攻めに参陣している。宗重は若くして宗信に家督を譲り、自身は米沢城下に屋敷を構えてた。政宗に家督を譲った輝宗は、隠居御殿が出来るまで、宗重の館で何日か過ごしている。しかし、天正15年(1585)10月に、鮎川宗信が最上義光に内応し...
来月度の城主争い戦況
1位 恭任非参議侍従さん 3回
2位 自然大炊助満喫さん 3回
3位 民部大輔まゆみさん 1回
攻略数:城 家臣団:人 |
異名:個 官位:個 |
|
ユーザー名タップで詳細表示 | 報告 |