天霧城(あまぎりじょう)

城郭基本情報

名称(よみ) 天霧城(あまぎりじょう)
通称・別名 雨霧城
所在地 香川県仲多度郡多度津町奥白方/善通寺市吉原町
天気情報

05/10(金) 降水確率:0%
22℃[+3]11℃[-2] 詳細

地図 マップ周辺の城NaviConYahoo!カーナビ
問い合わせ 香川県教育委員会事務局生涯学習・文化財課[電話
分類・構造 山城
天守構造 不明
築城主 香川景則
築城年 正平19年〔南朝〕/貞治3年〔北朝〕(1364)
主な城主 香川氏
廃城年 天正13年(1585)
遺構 曲輪、石垣、堀切、物見台跡、井戸
指定文化財 国史跡(天霧城跡)
再建建造物 説明板

概要 

天霧城は、山の地形などを利用した天然の要害(砦)を造り出した山城です。古代から鎌倉時代にかけて造られた城は多くが山城で、柵をめぐらし、要所に門や櫓(やぐら)を設ける程度の簡単なものでした。室町時代に入り戦乱が長期化、戦闘規模が拡大していくことに合わせて、城郭の規模も次第に大きくなってきました。

天霧城は自然地形を巧みに利用し、実戦的な縄張り(梯郭式)をした要害堅固で、陸海どの方向の動向にも十分に対応できる、地理的な好条件も備えた四国屈指の山城といえます。

歴史 

城主である香川氏は、相模国香川荘出身の鎌倉権五郎の末裔といわれており、14世紀後半に讃岐の守護細川氏に従って入部しました。そして、西讃岐の要衝である多度津・本台山(多度津山:現在の桃陵公園付近)に常の居館を構えました。その後、西讃岐守護代の地位を得た香川氏が有事の際の詰城として天霧城を築城しました。

遺構 

本台山から天霧城までは直線で3㎞ほど、中世山城の基本構造である『守るに易く攻めるに難い』という理想的な山城でした。

天霧城のある天霧山は、多度津町・善通寺市・三豊市と境を接し、瀬戸内海に臨む弥谷山系の北東部に一段高まる山塊です。弥谷山(標高382m)から天霧山(標高381m)にかけての山頂部には、数カ所に高まりがあります。また、山の周囲は急崖急坂の斜面で、全山が自然の要害地形を形成しています。

情報提供:多度津町教育委員会教育課



城郭口コミ


2023/12/17 14:12宇治ひろの勘解由長官ふくやん
天霧城:小雪がちらつく午前7時、登城開始。すぐに雪はなくなったものの海から吹き付ける風が強烈でした。しかし、先人が書かれているとおり、険峻な岩山を利用して作った小径は攻めにくさを感じさせてくれますね。なんとか登りきったあとには瀬戸内海の絶景が見れます。(もう少し樹木がなければ…)ただ、登城路は、強い雨が降ると沢に変身すると思われますので、岩場であることを考えると滑りにくい靴はマストです。有子山城よりキツいかもしれません。

2022/05/16 23:55マグロ常陸介祐平
天霧城:スーツに革靴のため、残念ながらすぐに引き返してしまいました。お隣の71番札所弥谷寺には、本堂脇に丸亀城の城主の山崎俊家の墓があります。案内板などはありませんのでご注意ください。家紋が目印です。

城郭攻略情報


2024/02/09 18:55
ウツーノ丹後守白起廉頗王翦
多度津駅側から線路分岐して金蔵寺駅側に向いてすぐ連打で攻略♪
2023/08/28 22:11
あざらし肥前守
公共交通:一例JRバス観音寺エクスプレスから(坂出IC〜は地道)、JR予讃・土讃線も可。(❜18・2攻略)
2023/01/29 12:21
cookey式部卿
津島ノ宮駅
2021/05/03 15:26
まさと長門守
土讃線金蔵寺~多度津間でとれました
2020/08/23 08:32
安濃津渡島守壱午
高松道より攻略。

城主争い

来月度の城主争い戦況

 1位 うやん⚡さん 57

 2位 HIDEKING民部卿さん 23

 3位 さよぼうさん 22

天霧城の周辺スポット情報

 隠砦跡(遺構・復元物)

 犬返しの険(遺構・復元物)

 北東端の方形郭(遺構・復元物)

 馬連祠の曲輪(遺構・復元物)

 古井戸(遺構・復元物)

 説明板(碑・説明板)

 本丸跡・隠密取手跡分岐看板(碑・説明板)

 本丸・弥谷寺・白方の分岐点(碑・説明板)

 白方側の登山口、説明板(碑・説明板)

 天霧城址(碑・説明板)

 鷺井城(周辺城郭)

 大見城(周辺城郭)

 天霧城主 香川氏代々の墓(寺社・史跡)

 ビュースポット(その他)

 

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